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『グランギニョル』感想まとめ

繭期のみなさんご機嫌麗しゅう。ネタバレ配慮のない感想まとめだよ。書いてる人は2015版が初見でD2版/LILIUM/二輪咲き/SPECTER見てるのでその辺りの配慮もないです。のちのち増える。

 

 

 

 

 

前半というか、匿ってるスーがダリの子を身ごもってるって噂になってる、という話が出た時点で、ああダリちゃんの子じゃないんだなと察しがついた。それでも、デリコの家名を疎むような発言や奔放さには、この人はウルの父親であったんだなぁと感じて、子どもって血筋よりも環境によって親に似てくるんだなって思ったりした。これがそんなに衝撃じゃなかったのは、グランギニョルがウルの出生の話だと聞いた瞬間からあらゆるパターンを想定してたからです。ちなみに一番しぬパターンは『実はダンピールではなかった』です。

ラファエロの場合は父親を反面教師にしたのかな……って思ったら、厳格な父親の振る舞いしてたようなので、なんかそれはそれでまた拗れる要素だなと思ったり………弟の前でだけ優しいというか、遊び心のある父親の姿知ったらしんどくない……?と長子の立場としては思うわけです。

ゲルハルトかわいすぎ問題。ラファエロとアンジェリコの場合、剣術に関してはラファエロが上手なんだけど、それ以外のことに関しては競い合う関係性というか、ラファエロだけが一方的優位ではないんだろうなぁと思ってたんだけど、ダリちゃんとゲルハルトはダリちゃん優位なんだろうなぁと感じた。ゲルハルトが劣ってるという話ではなく、多分この人めちゃくちゃ不器用なんだろうなって。物言いの感じとかアンジェリコ父親似なんだねぇ…と思うくらい似てるんだけど、どことなく幼さというか、拙さを感じる。かわいい。

とか思ってたらフラ家も子どもは環境によって親に似てくる事例だったんですけどね……マリアの性質が本編中であまり明かされないのでなんともですが、ダリちゃんとフリーダも、ゲルハルトとマリアも、貴族的な名家同士のお見合い結婚だったのかなという印象。出会いの形はどうであれ、夫婦になってから愛を育むというルートに乗ったデリコ家とそこに乗れなかったフラ家という意味で、お互いがお互いのifなんだろうなぁ。

今作のダリちゃんはとにかく器用そうだし、実際のところ劣勢になってもそれを感じさせない余裕を取り繕うことが出来るんだろうな、っていう感じがスーとのやりとりからも分かる。だからこそ、フリーダの前で不格好な様を見せて取り繕ってることが分かるように取り繕うのは、ダリちゃんなりに心を許してる相手への接し方なんだろうなぁ。この辺りは2015版のダリちゃんに通じるところだと思ってて、息子たちに伝わってるかどうかはさておき、お茶目してるのって動物でいうところのお腹見せてる感じに近いのかなというイメージ。

お互いが別ベクトルのツンデレ、という中の人のご意見は至極納得。「君は僕であり、僕は君なんだ」いう繭期即死台詞があるものの、実際のところダリちゃんとゲルハルトの関係性はソフィとウルの表裏if関係とイコールではなくて、ラファエロとアンジェリコの近似値if関係を足したハイブリッドって感じなんだよなぁ。それも、最初からハイブリッドだったわけではなく、そうなっていく過程が見られるのが本編かな、と思う。無意識下にあった同一視(ラファエロ/アンジェリコ)が幻想であったと理解し合った後に、意識的に表と裏の面としての同一視(ソフィ/ウル)を続けていく。

ダリちゃんが本気で動揺しているというか、取り繕いきれてないところってゲルハルトの原初信仰を知った時だけじゃないのかなと思っていて。ダリちゃんもまたゲルハルトに対して『君は僕であり、僕は君なんだ』と思っていたからこそ、同一視の枠から外れている事態に動揺したし、それがゲルハルトのみが抱える問題起因だったことが判明することでお互いが同じものではないと知る。ゲルハルトはその事実をダリちゃんより先に知っていたけれど、それでも同一視を止められなかったのは同じであろうとする努力値による補正の試みによるもの。この辺りは対ラファエロにアンジェリコが求めたものそのままかなという感じ。

ゲルハルトに貴族としての責任を説くこと、ダリの果たすべき行為を背負うこと。ラストの混乱下でお互いがお互いのためにしたことが、結果的に2人を表と裏という側面を分け合う同じものにしたんだろうなぁと。ゲルハルトは自身がダリと同じではないという事実を明かしたことを含めて折れた心のままに貴族然としてはいられなかった。ダリはフリーダを殺せなかったのではなく殺したくなかった(やろうと思えばやれた、と私は思ってる)からこそ、殺してしまえば精神的に二度と立ち上がることはできなかった。どちらが欠けても2人はこれまでのアイデンティティを保つことは出来なかっただろうと思うと、ラファエロとアンジェリコはこの儀式が成されなかった場合のifを歩くのかなと思ってしまい………コクーン(仮)ってもう仮題からして不穏しかないしこわい。

グランギニョル時点でのダリちゃん/ゲルハルトの関係性は息子世代に比べて終始穏やかだな〜という印象。伝家の宝刀デリコパンチに対して「ゲ〜ル〜ハ〜ル〜ト〜」ってうんにゃら波的なもので対抗するの可愛すぎでしょう(@東京楽)

ラストの「仕方ない、付き合ってやるよ」の返答に俯いて本当に嬉しそうに微笑むゲルハルトと分かってて覗き込むダリちゃん見てると、大号泣中に一瞬正気に戻っていちゃいちゃすんな( ◜◡◝ )ってなりますね。かわいい。

ダリちゃんの繭期返りっていつまで続いてるんだろう。普段から飄々としてることもあって、幻覚症状と多幸感の発露くらいしか表立っての変化がなかったので、まさかTRUMPの頃まではいかないだろうけど、本編以降もしばらく繭期状態続いてたのでは……?と思ったりしてしまいました。

2回目の観劇でTRUMPがクラウスだった話。なにを言ってるんだろう私。幻覚と現実の区別がついてない。いや、だってイメージシーン誰がやってるんだろう?と思ってオペラ覗き込んだらクラウスがいたんだよ。あらゆる感情のない顔で、ぼんやりと彷徨ってた焦点が合わないまま、口だけがうっそりと笑みを象って照明がふっ、と落ちたんだよ。虚ろとも無垢とも言い難い、『どちらか』断言できない幻覚を見た。ぼくたちのクランで最後に見た姿に近かったかもしれない。けど、あれはRアレンの髪型踏襲してたじゃない。今日の幻覚は違ったんだよ。Tクラウスの姿をしてたんだよ。(@8/2ソワレ)

 

 

 

 

 

以降は推しがウルだった身としてどうしても考えずにはいられない、理不尽だと分かっていながら言わずにはいられないことを言うところです。半ば呪詛。

 

 

 

親の立場から見たらそれは愛に他ならない願いであったかもしれないけれど、イニシアチブの重複における優位性が想いの強さである例を見せられている観客は真っ先にそれを想起するし、たとえあの子の結末が2つのイニシアチブと関わりがなかったとしても、もしかしたら、その願いの方が強かったなら、って考えちゃうじゃん。この純然たる願いは怨嗟の慟哭には勝てないんだと、初日のあの瞬間、真っ先にそう思った。

ウル、という名前に母が込めたのは愛であり、希望であったかもしれないけれど、それは後継者であり実子であるラファエロを失い、自身の願いが叶わなかったことを目の当たりにする、というダリ・デリコの残酷劇を綴る呪いを受け継いだんだよ。イニシアチブがあってもなくても、周囲に広がった悲劇はあの子を起因にしていて、それらはダリ・デリコに向けられていると捉えたら、母達の願いもまた、あの子にとっては生まれた瞬間から始まった残酷劇の一端なんだよ。あの子は自身の悲劇だけじゃなく、デリコ家の悲劇をも背負っていたんだよ。

結果論かもしれないけれど、あの子は、ウルは実父のイニシアチブと名前の持つ呪いを体現していたし、そんなあの子の人生はクラウスになにも影響をもたらさないんですよ。あの子にまつわる残酷劇は、生まれた瞬間から死ぬ瞬間まで、TRUMPの心には届かない。これを絶望と呼ばずなんと呼べばいいのか私には分からないよ。

言いたくないし理不尽なのは分かってるんだけど、回数を重ねれば重ねるほど、春林の存在をダリが知らなければイニシアチブによってあの願いを紡ぐこともなかったかもしれないのに、って思ってしまうんですよ。ダンピールでも繭期を越えられる事例。そんなもの知らなければ、負けるな、なんて口にしなかったかもしれないのに。相反するイニシアチブの命が、死ぬのがこわいと口にしたあの子を尚更苦しめたかもしれないのに。

 

推しのひとがしにかけるお芝居がとてもおじょうずなのがいけないと思うんですけど、劇中で赤子の泣き声がするたびに、私の脳裏にはブルーシアターの板の上で息も絶え絶えにのた打ち回るあの子が見えて、ただでさえこわくて見れない2015Tの円盤が一生見れない円盤にばけた。

それでもソフィの存在が、あの子にとって名前もイニシアチブも関係ないものだったと思いたくて、TRUMPとSPECTER見返したいんですけど当分むり。