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舞台『ダブル』感想

先に謝っておきたいんですが「だからあの夏あれほど初級革命講座飛龍伝がやるから見ろと言ったやろがい!!!!!!!!!!!!!!!!!!」って現在進行形で思ってるけど、別につか作品観てなくてもいいんだよ主語デカすぎてごめんな!!!!!!!!!!!つか作品なんか知らんでも楽しんでる人いっぱいいてよかった!!!!!!!!!!!
各役者の感想とかは千穐楽見たら追記します!!!!!!!





【公演情報】
舞台『ダブル』

原作:野田彩子『ダブル』(ヒーローズ刊)
脚本:青木 豪
演出:中屋敷法仁

出演
宝田多家良:和田雅成
鴨島友仁:玉置玲央

轟 九十九:井澤勇貴
冷田一恵:護 あさな
今切愛姫:牧浦乙葵
飯谷宗平:永島敬三

【公演日程】
2023年4月1日(土)~4月9日(日)
紀伊國屋ホール

舞台『ダブル』 | Nelke Planning / ネルケプランニング

天才役者とその代役という特異な関係性を鮮烈に描き、第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した野田彩子の漫画『ダブル』の舞台化が決定。

天性の魅力で徐々に役者としての才能を開花させていく宝田多家良と、その才能に焦がれながらも彼を支える鴨島友仁。互いに「世界一の役者」を目指すライバルでありながらも、どうしようもなく惹かれあう二人の関係を繊細かつ大胆に描く。






2.5次元舞台化『ではなかった』舞台ダブル>
いや、たしかに「舞台ダブルをやります!!!紀伊国屋ホールです!!!」の時点で、漫画ダブルを完全再現(≒2.5次元化)するとは微塵も思ってなかったというか、なんとかして初級編やってよ~くらいの希望を抱いてたんですけど、それにしたって終わってすぐの感想が「舞台ダブルを観たというか…………初級を観たというか………」になるとは思わないじゃん。

のちのち細かい演出意図みたいな話はするけど、大枠で言うと舞台ダブルは原作から初級編をやるために必要な要素だけを抽出して、初級と同じワンシチュエーションの舞台の上で、初級の登場人物とダブルの登場人物の心情や関係性がリンクしている部分のストーリーを、初級と同じ構成にして整えて「舞台ダブルです」って言って出してきていた。こんなに説明しづらいことある????


初級とダブルについての詳しい構造は怪文書ライターのかちんちゃんが丁寧に説明してくれてるので、こちらをご覧ください(怠惰)
boogiewoogie.hatenablog.com


『初級と同じ構成』というのは部屋の中というワンシチュエーションだけでなく、日常のしょうもないだらだらとした会話で輝かしい日々のことを回想するもそうだし、使用楽曲もそうなんですよね。九十九さんのやった前説のBGMも、最後に多家良がサブスクでかけた曲も、その後初級の映像を見ながら流れてた曲も、ぜーんぶ『初級革命講座飛龍伝』で実際に使ってる曲なんですよ。
唯一使われていないのは白鳥の湖だけで、あれだって『熱海殺人事件』があの爆音の中で緞帳が上がってスモークがばー!木村伝兵衛がどーん!台詞どわー!する予兆を感じさせて落とす、っていう特定の人間にしか刺さらないフックですからね。私もワンチャン九十九さんか飯谷がタキシード着てるんじゃないかと思っちゃったし、和田だったら客席から新しい爆弾魔が生まれちゃうよお……と震えていた。これは完全に余談です。


やしきさん自体は2.5次元舞台は原作履修してこい派だけど、とはいえ『漫画ダブルは初級をバラして漫画を構築している』ので『舞台ダブルは漫画をバラして初級と同じ構成にします!』はアリか?っていったら初級知ってるやつだけが異様に楽しい舞台になるでしょ。そりゃ。そしてそれが舞台作品として面白いか?っていったら劇中にもある通り「初級より改訂版飛龍伝の方が人気が高い」が答えになるんです。
初級は!!!別に!!!戯曲としてめちゃくちゃ面白いわけじゃないんだ!!!wwwwwそれなのに初級からインスピレーションを受けて、めちゃくちゃ面白い漫画を描いてる野田彩子がすごいの!!!しかもこの脚本を書いてるのがつか作品だいすきな中屋敷じゃなくて青木豪だから余計にこっちはテンパってるの!!!初級を知ってる人間が一生作品構造の話をしてるのは、劇中から引用するところの「ストーリーが面白いとかじゃない」からなんだよ!!!!!!!wwwww

いやでも一応身内ノリ的なものでもないよ、という弁護をしますが「初級が分かんなくて面白いのこれ??????」っていうのは漫画ダブルの時点からずーっと思ってたことだったので、初級を知ってる人間はダブルをこういう目線でしか見れないよな、って思ったんですよね私は。
だからこそ、2.5次元舞台でなかったにも関わらず面白かった!っていう感想がいっぱいあったのめちゃくちゃ良かったな~~~~~と思ったし、どういうところが琴線に触れたとか、原作と違ってるからこそ分かったとか、色んな感想に触れられる環境ひさびさで楽しかった~~~~~となりました。




<あのワンシチュエーション・映像演出なんだったの?>
もちろん『ワンシチュエーション≒初級の戯曲構成を模している』ではあるんだけど、それ以外の演出意図あっての転換無し+スクリーンの映像利用だったんだろうなと思った話をします。


スクリーンや映像を使った演出を唐突だ、異物だと思った観客の感覚はたぶん正しい。それはあの部屋自体が、宝田多家良という人間の心とか意識を表した『箱』だと思ったからだ。
友仁さんから離れて一人で、愛姫や九十九、冷田さんといった人々を通して何者かになっていく多家良と、家主の許可か鍵無しでは踏み入れない引っ越したてのオートロックマンションの部屋は同期していて、最奥にあるロフトは多家良の心の一番深い部分を、希死念慮に誘われて手を伸ばすベランダは一番近いところにある『意識の外』を表していた、と私は解釈している。

その観点で見たとき、あの箱を一度完全に覆い隠すスクリーンとそこに投影された映像は多家良の中に落ちてこない、根付いていないモノを表現しているんだと思った。
舞台ダブルは完全に話の主軸を『初級編』に据えているため、この辺りはもちろん原作履修してるよね?のテイで進んでいるけど、原作内におけるあの一連の映像は本当にあった出来事・本物の友仁さんではなく、多家良の夢に出てくる記憶と理想の友仁さんだったりする。
説明は端折るけど今舞台を見てる人もなんか変だなって思うね?オッケーそういうことです次いこう!なんじゃないかな、というのが『箱』の観点における私の映像解釈。

次にスクリーンが半ばまで降りてきて映されるLineは、多家良の外にあるものとして特筆すべき『文字情報』だ。台本ほどの長さはないし、すべてがいわゆる『セリフ』なので完全に外のものではないけど、文字を読むのが苦手な多家良にとっては意志の読みきれない、自分の中に落ちきらない少し遠くの存在という表現なんだと思う。
この一連のLineのくだりは逆に原作にもなかった描写で、『口立てで芝居をつけるつか作品』と『セリフと解釈を音で取り込んで自らを満たす役者・宝田多家良』にとっての文字情報がいかに『不要』なものかを表現するための演出だったのかなーと思ったりした。

一方で、多家良が声を取り戻す過程で部屋全体に投影された映像は、これまで多家良が役作りとして辿ってきた人生が、荒れ切っていた部屋≒宝田多家良の中を改めて満たしていくものとして扱われている。原作では多家良が自分の足で歩いて、考えて、振り返った足跡が、舞台では引っ越してきたばかりの真新しい部屋を色付けることで、何者でもなかった多家良自身が再構築されていく様を表現したんだと思った。ので、個人的にはここまで『異物』として扱い続けてきた映像演出を受け入れるものとして反転させてたのは好きだったなーという印象だった。


あとこれは舞台ではオミットされてるんだけど、友仁さんと離れたことを『遠く』と表していた多家良は声を取り戻す時に『もっと遠くへ行こう』ってモノローグがあるんですよね。まさかその次に初級編とかいうとんでもねぇものが待ち受けてると思わなかった私は『遠く≒映像』のことだと読んでる当時は思っていた。
舞台、特に小劇場の『同じ空気を吸ってる』といっても過言ではない距離感から考えると、映像作品に出演している役者は物理的距離が遠くなる。けれど同時に、特定の劇場に足を運ばなければいけない舞台と比べて、ドラマや映画といった映像作品は物理的距離があっても触れる方法がたくさんある。
そうやって遠くへ行けば行くほど、多家良がどこにいても友仁さんが見つけられるようになる。
そういう意味でも、映像作品が主戦場になっていく多家良を表してたのがあのスクリーン映像なのかな、と思ったりもした。まぁ、映像自体が結構ダサめなのでその解釈でいくと映像作品をdisってる感が出ちゃう気もするけど。


舞台ダブルが初級の構成を模してること、原作の舞台裏的な部分を描いていることから、たしかにあの部屋で起きてること以外は全部知ってる(原作にある)もんな~という気持ちもあったし、『箱』にそっと被せられた布を舞台機構である緞帳、つまり舞台(原作)上との区切りを表したりもしてるのかな~などと思ったり。





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