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『MOJO』感想まとめ


特に推しが出てるわけじゃないし好きじゃない役者もいるし当日引換券とったけどどうしようかな〜と迷ってたら、10年越しの確執を経て主演推しとなった友人から『倫理観のない話だよ!』と聞いて大喜びで観に行ったMOJO感想です。わーい倫理観のない話だいすき!ネタバレの配慮はないよ!

 

 

 

 

 

【6/25ソワレ】

海外の戯曲らしい、酒とタバコとクスリと女がバンバン出てくる話なんだけど、そういう古さとかクラブの話がクラブexという箱にめちゃくちゃ合ってた。正直演出は円形ステージであることを活かしきれてない節があったけど、この箱使うっていうのは会場ごと板の上の延長にするためなんだよね分かるよSLAZYもそうだったもん。

派手な話じゃないし、なにかが劇的に変わる話でもないんだけど、もしこの物語に何かがあるとしたらベイビーと呼ばれた人間が新しいスタートをするまでの話なんだと思う。しかもそれは今まで生きてきた人生を切り捨てることなく地続きの、明確な答えも未来もない真っ暗からのスタート。

血縁関係にありながら幼い彼を犯した父親との確執とか、父の右腕としてクラブで働くミッキーへの憧憬とか、若く才能があって父の寵愛を受けているジョニーへの嫉妬とか。ベイビーの周りには色んなことが渦巻いてるんだけど、他人のこれまでの人生とかその中でなにがあったとかって日常生活の中でそんな簡単に分かるものじゃない。そういう現実の対人コミュニケーションで得られるレベルの情報しかない中で客席はベイビーという人間に触れる。

彼が、マジョリティな親子関係のモデルケースであるように父親の背中を見て育っている背景や、その父親が自分ではない人間の方を向いてることへの嫉妬。そういう感情の気配を要所要所で感じるのに、次の瞬間にはシャボン玉みたいにぱちんと弾けて頭のイカれたベイビーになる。そこに彼という人間の美しさが凝縮されてる気がした。

パンフにも書いてある『朝目が覚めた時に〜』って話してる時の顔が、元々の綺麗な顔立ちが表す美しさではなく、触れると壊れてしまいそうな空洞化した器であることを感じさせる類の美しさを纏ってるんですよ。個人的には特筆するほど好きな顔というわけではないので、あれはほんとに純粋にお芝居の力だと思う。

クソみたいな過去があっても、彼にとって父親はどこまでいっても父親だし、愛してるからこそその寵愛がたとえマトモじゃなくても欲しくて仕方ないのかな、って一幕では感じた。だからこそミッキーに対抗心燃やすし、「ここは親父の店で、俺は親父の息子」ってラリってるように言うんだけど、そうやってなんでもない風に叫ぶのが彼の本音なんだと思った。

周囲はベイビーの頭がイカれてるから彼を腫れ物の子どもみたいに扱うけど、彼の見た目がジョニーのような子どもじゃないから父親はジョニーを寵愛してたし、彼の内面がドライブに連れて行かれた日のような子どもじゃないからジョニーを庇護する立場という新しいスタートが結末になったんだと思う。かつての自分を重ねるジョニーや、ありえたかもしれない自身のif未来のようなミッキーに嫉妬しながらも最後に選んだのが父親のように庇護する側に回ること、っていうのがこの脚本のすごいなって思うところなんだよね………ああいうエキセントリックじみた役ってどっちかに寄るでしょ普通……

事前に『哄笑がめっちゃ上手い』ってピンポイント情報聞いてたんだけどほんとに上手くて、あの無音の間を声だけで埋められる存在感が逆にここ以外に居場所がない、って言葉に説得力を持たせてることが凄まじかった。一つ一つの笑いに怒って、喜んで、悲しんで、楽しんで、っていう不安定さがあって、聞いてる方の心が不安になる。

ベイビー以外の登場人物は、全員が全員彼自身であって、クラブは彼の言う通り父親そのものなんだと思う。だからジョニーに問いかけた言葉も、スウィーツを詰る言葉も自分への言葉だし、ミッキーに憧れてそうなりたいから言葉を取り込むし、スキニーは鏡だからその鏡を壊してようやく彼は外に出る。

終盤からラストにかけて起こる周囲の混乱の外で鼻唄歌いながら歩き回ってるところとか、背中向けてるところとか、本人の感覚だけに収まりきらない『唯一の居場所での透明人間感』が一番怖かったかなぁ。皆まるで彼が見えてないみたいで、こんなに存在感があるのに、いないものみたいになってた。そういう意味では、場に入ってきた瞬間から居なくなった後もたとえ良くない意味でも皆の話題に上がり続けるスキニーは、ジョニーよりもミッキーよりもずっとずっと気に食わない存在だったんだろうな、って思う。ベイビーにとっての鏡であるスキニーを鏡だと思えてるうちは、彼が自分自身であるように感じることで許容してたのかな。

行動としては突発的で不可解さの方が勝つラストだけど、理由としてはそれまでのちょっかい出してたのとそう変わらないんじゃないかな、と思った。どんな過去や思想があったとしても、やっぱり彼はそういう境界も感じられないからひょいと越えられちゃうんだと思う。あの細くて長い脚で越えていく。

ベイビーの口から幼少期の回想として語られる牛の話は、カフェのため=生きるために命を奪うという行為を自分が過去に経験していること、それは父親が先導していたことだから正しいこと、っていう意味で自分の犯した罪を正当化する作業なのかなって思った。「俺がなんでベイビーなのか知ってる?」(うろ)ってセリフに、ああ父親にそう呼ばれて可愛がられてきたんだなって思ったら、もう本当にクソみたいな過去のことがあっても彼は父親を愛してるんだなって思えてしまって……彼にとっての父親は確かに万能の神の側面を持ってたのかな、って意味で解釈したかなあれは。

『ベイビー』ってほんとの名前じゃないんだよ。サムのような、生まれて付けられた時から呼ばれる名前はそうじゃない。でもあのクラブにいる限り彼は永遠にベイビーで、だからこそシルバー・ジョニーを『シルバー』と呼ぶためのジャケットを置いて出て行くことが、彼が『ベイビー』を置いていくことと同じなんだよ。あの光の中に消えた彼はもう誰にも『ベイビー』とは呼ばれない。

円形ステージの利点であり難点なんだけど、夜明けの空気を鼻で感じて、夜明けの光を眩しそうに受けた時の顔と、その光の中に父親が寵愛していたジョニーを連れて歩いていく表情を客席全員が見られないのあまりに無理すぎ。いや、だってあの表情ほんとにすごいんだよ………それまであの丸い板の上で「考えたんだ」「ちゃんとしようと思う」「親が半分にされて覚悟決めるやつなんてそういない」って言ってたことは全部軽かったのに、あの光へ向かっていく表情にはそれを全部感じられたんだよ。彼はあれからジョニーを連れてどこにいくんだろう。
父親になれない人間だからベイビー』って感想聞いてそれだ!!!!って。鏡であるスキニーが「いつか子どもが欲しいんだ」って繰り返してたことは意味ある言葉だと思ってたから、子どものベイビーは父親にはなれない、って意味合いだと解釈してたんだけど、そもそも父親になれない人間なんだ。そっか。私もやっぱり騙された一人だったんだ。あれは父親ごっこをする『ベイビー』だったんだなぁ。

 

いやほんとに久々にすごい芝居の上手い役者見たな、って感じた。10年前のアレコレを知らないわけじゃないし、むしろ詳細に知ってるからこそ頑なに嫌う人も面白く思わない人もいるだろうことは理解できる。けど私は、アーティストとしての経験を活かして上質な芝居をする役者として今回のTAKAHIROさんを評価します。めっちゃ良かった。最高だったありがとう。

だってお芝居が上手いどころの騒ぎじゃないんだもん………映像でのお芝居は経験があるとはいえ、普段舞台をフィールドにしてる役者が負けてていいの?って思うくらいあの舞台の中で存在感を消す存在感、というサイコーのお芝居見せてもらった。めっちゃ気持ちよかったです。

私は出演作だとハイローくらいしかまともに見てないんだけど、アーティストの、一番に目を惹くボーカルという職をやってる人らしく、立ってるだけで華があるし、お芝居の間の取り方とかテンポ感が天才のそれだった。今回のキャストでいうと了くんとかもそのタイプだと思ってるから、ベイビーとスウィーツのシーン最高だった。

もちろん、了くんとか波岡さんとか映像経験豊富な人が多かったこともお芝居が馴染んでたことによる勝因の一つかな、とは思うけど、あれだけ存在感があって華があって真ん中に立ってる姿がサマになるっていうのは役者としても大きな武器だなぁって思う。またこういう舞台で観られる機会があるといいな。

あと本職だから当たり前なんだけど、めちゃくちゃ歌が上手くて、この舞台は劇伴が皆だいすき和田さんにも関わらず極端に少ないんだけど効果としては最高だった。ジョニーがいるからジュークボックスがいらないように、ベイビーが歌うから劇伴はいらない。贅沢かよ説得力ありすぎだわ。

バカみたいな感想でいうと、あのセットにぶら下がりながら足合わせて鳴らすとこで「足が長い…」って思ってしまった( ◜◡◝ )上半身がっしりしてるのに下半身細くてなにあの生き物すごい!みたいな気分になったね。

元の脚本に準拠しているとはいえ、幼い顔立ちをしているけど年齢を重ねた男性であるTAKAHIROという役者をちゃんと正面から見据えた演出と脚本で良かったなと思った。なんか変にファンタジーじゃなかったことが、アーティストとしての一面とは別の一面としてのお芝居を見させてもらってるんだなって受け取れたし、元々この作品は上演当時、限りなく板の下の現実に広がる日常と地続きだったんだと推測できるから、そのテイストがしっかり存在した日本版になってたと思う。

 

 

 

 


【追記あれこれ】

スキニーもうちょっとどうにかなんないかなぁ。好きじゃない役者というのはあの人のことなんだけど、あの田舎訛りの役だと唯一の取り柄である滑舌も死んでて、本気でなに言ってるのか分かんなくてセリフ入ってこないことが多々あって。役柄としては無様で滑稽で間抜けなベイビーにとっての鏡、だから、そうあることは許容されるべきことで私の好き嫌いに由来するだけなのかもしれないし、板の上に映像寄りの芝居する人が多かったことが敗因かもしれないけど、純情伝〜熱海のセリフまくし立てるお芝居を嫌な感じに引きずってるなって思った。

ラストで人が撃たれて笑い声上がるのどうなの?みたいな話題出てたらしいんだけど。個人的にはたとえ無様で滑稽で間抜けな人間だとしても、凶器がオモチャみたいな音を立てる銃だとしても、撃たれれば人は死ぬんだよ、みたいな笑い声が上がること織り込み済みのブラックジョークなんだと解釈したかな。劇的な死が訪れるような人間はこの脚本の世界にはいないんだよ。

 

舞台装置としてのクラブexは最高だと思う。ほんとに。あの夜明けの光を扉の向こうの橙がかった照明で表現していた光景はほんとに美しかった。でもやっぱり座席数少ないし、あの表情を観られる人数が座席数からさらに限られてることは確かに演劇的だけどあまりにも惜しすぎる。

円形ステージの利点の一つって客席からの視点が一方向に定まらないことによる、現実的空間の表現/客席に背を向けるという概念がない、ということだと思う。それ自体は映像のお芝居に近いと思うし、現実との延長線に存在する作品の在り方に適してたと思うけど、もう少し要所要所の大事な表情が見えるようにしてほしかったかなぁ。これはちょっと贅沢なワガママ入ってる自覚あるけど、座席数少なすぎて別サイドからリピートするのも難しい状況なんですよ!!!!
→というわけで、これからMOJO観に行く人でこのお芝居気に入った人はアンケートにDVD出してくださいって書いてください。私は裏まで書いた。円盤で然るべき情報が観客全員に与えられてほしい。そういう欲を産む作品だと思った。

 

 

 

 

 

【7/1ソワレ】
まさかの2回目なので、今回は表情しっかり見よ〜と思ったら大変なことにばかり気付いてしまって最早初見とはかけ離れた感想を抱いてしまい、結局追記する羽目になるわけでした。

バルコニーから俯瞰で見てるということもあってか、ベイビーの感情の起伏に一貫性を見出すことができたような気がした。一貫性?というか一人の人間の複数の側面を見ているんだな、っていう感覚。クスリでラリってるからアップダウンが激しいのは前回ももちろんだったけど、ねずみ花火を見てるように規則性がなくて捉えるべき輪郭のなかった存在が、今回は万華鏡の中を覗いてるような気分だった。前後のテンションに繋がりがない感情の移り変わりは相変わらずなんだけど、一貫した視点からベイビーという人間の多面性を観察しているような印象。

ちらほら見かける感想にあった、最初からミッキーが父親殺しに加担していることを知っていた、と思って見ると、事実を掌握している唯一の人間であるからこそ周囲の理解を得られないという構図に見えてきて、そういう見方が余計にベイビーが得体の知れない未完成な『何か』ではなく、物語の主人公として映ったのかもしれない。

全体を通して受けた印象としては、誰かの真似事をすることで何者かになろうとして失敗しているように見受けられる。映画やクラブ再開の提案はクラブのオーナー/父親(血縁関係ではなく集団の長)を模倣しているけれど、どんなに口ではミッキーに対して文句を言っていても他3人がベイビーの提案に乗ってくることはないので成功しない。「俺、スパンコールって好きなんだ」という台詞にはお飾りの父親として据えられることを許容する従順な姿勢/子ども(父親に愛される集団の構成員)を模倣して見せているつもりだけれど、結局家であるクラブ/集団から追い出されてしまう。ラストシーンは劇中では模倣する場面のなかった対自分への父親を模倣しようとしてジョニーに優しく声をかけているように見えた。劇的な変化や変質を含まない、あくまで居場所探しの延長線としての父親ごっこ。

「これほんとに親父なの?」のところでベイビーが開けたゴミ箱の中、ほんとに中身が入ってた………のっぺらぼうの顔に、クセが強い巻き毛の白銀髪………
スウィーツとシドニーが賭けてた、正面向かって右が脚で左が頭、が逆。先に右を開けた時点でベイビーには頭が確認できて本当に親父だって分かってたのに、わざわざ左も開けて。しかもそっちの中身を注視してる時間の方が長いという。バルコニーからしか見えない光景だし、まさか入ってると思わなくて一人で飛び上がるほど震えた……たしか前回見たときも左の方が長く見てて(なのでてっきりスウィーツとシドニーの予想が合ってるんだと思ってた)そっちに執着の重点が置かれてるのかなって思ったり、そもそもそちらの変質によって親父の死というものが初めて認識できたのかな、とかとにかく色々考えてしまって、なんで見ちゃったかな!!!!!

前回は全景見てて気付かなかったんですけど、照明受けてても上向いてもハイライトが入らないあの目は一体なんなんでしょうか。一幕ずっーとあんな空っぽの目で口元だけニヤニヤ笑ってたの知らなかった。本人が意識してるらしいの(パンフ参照)ほんとに?って思ったものの、例の芝刈り機のくだりで納得。素というか、役が抜けかけると極端に瞬きの回数が増えて、そこでハイライトが明滅するの見てしまった。でもセリフ喋った瞬間にはハイライトオフになってる。なにあれすごい。

あと噂通り、痩せてたというかやつれてましたね。精神力使うモチーフの話ではあるけど、人間ってこんな短時間で目に見えて変わるものなの。そのかわりというかなんというか、骨格が内から輝いてた。やつれてることによって骨格に照明を受けてるのがすごくよく分かる肌の光り方をしていて、ちょうど目尻をくの字で囲むように反射してる照明がすっごい綺麗で、この人めちゃくちゃ頭蓋骨の形が綺麗なんだなぁ……って見惚れた瞬間が何度かあった。前回は正面から見ていてもガタイが良くて肌の色艶が良くて、いかついって言葉がぴったりだったけど、今回はあんまりそういう気がしなかった。あと、あの一連のジョニーへの詰問の内容って父親から言われたことなのかなってちょっと思った。成長してしまったことに対する詰り。

初見の時は空間認識がイマイチだったんだけど、一幕から二幕のセット転換って二階の控え室兼事務所→一階のフロアなんですね。今更だけどオープニングのジョニーの映像見て気付いた。あのブルーの色調自体はラストシーンの夜明けのオレンジを対比で強調するためのものなのかな、って思ってたけど、毎晩ジョニーが歌って踊っていたあの青いステージでベイビーが話したことや起こった出来事を反芻したらなんか凄い舞台環境だなって思ってしまった。クラブそのものを家/集団に見立てていたけど、厳密には二階だけがそれを示すのかもしれない。頭は一階、足は二階とか。この辺りあとで追記しよう。

ベイビーに限らず、全体的に台詞回しの緩急やテンポが変わっていて、元から完成度は高かったので演技プランが大きく転換された、とかいうよりはブラッシュアップという言葉が一番適切かなって感じた。千秋楽付近でもう一回くらい観たい……観たい…………DVDほしいのでアンケート書いてください……

 

 

 

 

 

【7/9ソワレ】
当券チャレンジ成功して3回目の観劇。推し出てないのになんで?って聞かれたけどそれは私が聞きたいです。この話が好きなんですよ!!!!!

みんなだいすき芝刈り機の話。あれなんて表現したらいいかな……マネージャーの顔を轢いた芝刈り機は普通の、というかなんか軽い感じの機械だったんだけど、親指を切断した芝刈り機はいつものチェーンソーみたいにエンジンかけるやつ、っていう使い分けしててもうなにがなんだか。とりあえずめちゃくちゃ面白かったです。椅子の背を掴んで口元覆って笑い堪えてる了くんが目をカッ!<●><●>って見開いて向かいのTAKAHIROさん凝視してて、ゲラの玉突き事故の原因これか!wwwwwってなりましたただでは死なない木村了尾上さんの芝刈り機終わったんだか終わってないんだか分かんなくて、一瞬時が止まったのもじわじわきた。

スウィーツがスキニーに食わせるケーキ手掴みになったよ、って聞いてどれだけの塊かと思ったらそんなに大きくなくて、でも明らかに咀嚼大変そうだったんだけどもしかしてあれ握り潰して圧縮してる……?了くんのそういう容赦がないところ好きです。

香水のくだり。ようやく真正面から見えたけど、あれ自分のシャツの匂い嗅いでうわ、って顔してつけてるんですね。スキニーに向かって執拗にタバコの煙吹きかけたりしてる一連の動きも初めて見えたけど、あそこって一睡もしないまま酒とクスリキメてるから作中で一番ハイなベイビーがいるんだろうな。

何度か出てくるベイビーへの「寝てないんだろう」がなにを指すのか考えてたんだけど、眠りについて朝起きた時にあの感覚に陥るのを怖がってる、ってことなのかなって思った。ベイビーはミッキーがロス側の人間であることに最初から気付いてる、で個人的には間違いないと思ってるから、今日は一幕でミッキーを煽ってる目にハイライトがしっかり入ってキラキラしてるのが凄い意地が悪くていいなって感じた。しかもそれが一幕のラストでオフになるのが、周りに降り注ぐコンフェッティの眩しいくらいの輝き方と対比になってて、最早一つの舞台機構だった。あのキラキラした光の真ん中で真っ暗になった目を閉じて、彼は望まない眠りに就くのかなぁ。

今日はスウィーツとシドニー『ベイブ』って呼ぶところが結構あった。あれによって3人の距離感というか親密さを感じさせられて、前回よりもベイビーが蚊帳の外って印象が薄くなったなって感じた。だからこそ余計に、ラストの混乱から外れていつも通り酒飲んで煙草ふかしてる姿が異様なのだけど。

注視してみるとミッキーって結構迂闊なところがある描写が見受けられる。ジョニーがアトランティックを出たのが11時で電話が8時なのに「5時間か」って言ってるあれは、二幕の展開を示唆してる/ミッキーの詰めの甘さを表してるのかなと。シドニーは11、12…って数えて、9時間だよな?ってスキニーにジェスチャーで聞いてるのに、誰もミッキー本人には尋ねない。集団の長に逆らうと追い出される、という暗黙の了解とか、目に見えない父親からの抑圧を表してるのかな。実の息子にまで手を出すようなロリコン親父をスウィーツは「誰にでも公平な紳士」と呼ぶし、ラストでもミッキーに「俺たちを愛してくれてると思ってた」と言うもんね。集団の子供役を一番従順に務めているのはスウィーツなのかも。

洗面器のくだりとかも、初見の時あそこでミッキー死ぬと思ったよね、っていろんな人と話してて。死因は溺死とか毒殺とかギロチンとか色々考えられたけど、とにかく死ぬと思った。だって仲間とはいえ、命を狙われてるという状況であんな無防備な体勢とれる?あれはベイビーを追い出すという権力を行使したことによって、シドニーがミッキーを集団の長/王様/父親と認めて媚びを売っている、って意味合いにも見えるし、ミッキーは真相を知っているから実際のところ自分達が殺されるはずがないことを分かってるという自白とも見える。そういう迂闊さに親近感があるから、ミッキーはスキニーを贔屓するのかなって。

前回も思ったんだけど、ビュイックってミッキーの車なのかな?でもジョニー売ったお金は手に入れてないから「俺の全て、何もかも掠め取られた!」なのかな。あの言葉自体がブラフの可能性もあるけど、お金手に入れる前に買えるような蓄えはなさそうだし。向こうの地理には詳しくないけど、交通手段の話がバスや電車ばかりで、自前の車の話が出ないのは町から出ないタイプの田舎なのかなと思ってて、慣れない不相応なものを買ったから鍵つけっぱなしにして停めてあったってことなのかと。車種自体はアメリカかぶれ、みたいな意味合いだと思うけど、手に入れた恩恵によって破滅を導いた、みたいな皮肉的展開というのも面白いかなって思った。

一幕ラストでミッキーと相対してるベイビーを初めて見れたけど、あの目を見るとやっぱり全部知ってるんだろうなって思うんだよね。鍵預けられてて、ロスのことも知ってて、となるとベイビーが父親経由でロスと知り合ってた可能性もあるんじゃないかという気がする。というか電話したのベイビーだったりしない?しないか。でもロリコン親父同士だし、虐待に加担してたとかはありえそう。地獄か。

「出ていけ!」って言われるくだり、その前のミッキーにカトラスを突き付けたところの表情がとても興味深かった。周りから「不可解なもの」として見られているベイビーが、唯一他者をそのようなものとして見た瞬間があそこにあった。驚いているような、怖がっているような、理解出来ないと言っているような顔。その顔のまま、ミッキーの宣告を受けてクラブから出ていく。てっきり追い出されることについて何らかの感情を抱いていたのかと思っていたけど、そうではなかった。あれは何を思っていたんだろう。死を怖がらない、あるいはベイビーを恐れないミッキーに対して、彼は一体なにを見たんだろう。

牛の話は結局やっぱり牛じゃない気がしてるんだけど、じゃあなにかと問われてもイマイチ答えが定まらないんだなぁ。性的虐待の暗喩、防衛本能の閾値越えによる感情麻痺、共同経営者の顛末でありエズラの顛末が因果応報であるという意味、牛も人も殺すって点では同じだったっていう話。うーん。

「殺されるんだ」って台詞の響き方が凄かったんだけど、マチソワどうこうじゃない、ベイビーの疲れみたいなものが見えてうーーーーーーーわってなった。先週よりも声の張りどころとか声色の変え方に演技意図が見えて良かった。全体的に凄む声の低さ/太さにインパクトが生まれるようになってて、でもだからこそ一番震えるのって高音歌ってるとこなんだよね。細くて甘い声。「スパンコールって好きなんだ」の言い方も妙に明るいというかハイになってて、初回の時のかわいい顔の下にいかつい身体ついてる、って印象にお芝居によって立ち戻ってる感じがした。実際のところご本人の体は締まってるし頬はやつれてるんだけど、それを圧の緩急でカバーしてる感じ。

目のハイライト、オンオフするポイント変えてない?そんなこと出来るものなの?でも意識してるんだもんね?そうかぁできるのかぁ。一幕でミッキー煽るところでめちゃくちゃハイライト入るようになってて、二幕でクラブに戻ってきた後は一幕でハイライト入ってた角度で見てもオフになってる、という訳の分からないものを見せられていた。そんな演技プラン変更聞いたことないですよ……初めて見る角度からの観劇だったから、前からそうだったのかなー難しいなーって思ったけど、知人に話聞く限りやっぱり日によって違ってるみたいです。その場の雰囲気である程度変えてて、固定化はしてないんだろうなぁ。通い甲斐のある推しさんですね( ◜◡◝ )

この作品、劇的な出来事が起きない(板の下の日常の延長で起こりうることしか起きない)と思ってるから、やっぱりラストはハッピーエンドじゃないな、というのが私の最終的な印象でした。エズラが死ぬのも、ロスを殺すのも、スキニーを殺すのも、アッパーダウンをいったりきたりするベイビーの生活の地続きのところで起きてること。1度経験してしまった時点で、ベイビーにとってはあのクラブから出ていくことも特別なことではなくなってしまったんだと思う。歳を重ねると時間の流れが早く感じるのは初めて経験することが減るからだ、って言われるけど、そうやって特別な出来事がまた1つ無くなったことがベイビーが大人になっているということなんだろうなぁ。今何時?って色んな人が聞くけど、あれもそういう意味なのかなって。そんな感じで私のMOJO観劇はおーしまい。DVD出るといいなぁ〜アンケートよろしくお願いします!