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「飛龍伝2020」感想(と新幕末とあずみとアールユーピーくんと私)

5分の4はタイトルの()に入ってる内容で感想が薄い。別名:改竄・熱海殺人事件への準備運動。





【公演情報】

ニッポン放送開局65周年つかこうへい演劇祭 - 没後10年に祈る -
「飛龍伝2020」

作:つかこうへい
演出:岡村俊一

キャスト
神林美智子:菅井友香欅坂46
山崎一平:石田明
桂木純一郎:味方良介
伊豆沼(横浜国大):細貝圭

(中央大):小柳心
上智大):久保田創
ねずみ(早稲田):小澤亮太
須藤公一
泊平助:大石敦士
第一機動隊隊長:吉田智則

山田良明(北区AKT STAGE)
友岡靖雅(北区AKT STAGE)
草野 剛(北区AKT STAGE)
(日大):うえきやサトシ(劇団4ドル50セント)
和田慶史朗
岩上隼也
河合健太郎
濱田和馬
江浦優大
河本祐貴
米岡孝弘

琉球大):佐久本宝

(京都大):多和田任益(2/11・12ゲスト)
荒井敦史(2/12ゲスト)


【公演日程】

2020年1月30日~2月12日 新国立劇場 中劇場
(1月29日(水)プレビュー公演)
2020年2月22日~24日  COOL JAPAN PARK OSAKA TTホール

飛龍伝2020 | Information | 株式会社アール・ユー・ピー

春、駿河台方向から聞こえてくるシュプレヒコールの中、一人の少女が進学のため愛と希望を胸にいだき上京した。
四国高松から上京した神林美智子(菅井友香)である。
しかし、時代は学生運動の真っ只中、やがて美智子は、全共闘作戦参謀の桂木純一郎(味方良介)に出会い、その理想と革命に燃える姿に憧れ、恋に落ちる…。
やがて、美智子は全共闘40万人を束ねる委員長に、まつり上げられてしまう。

11・26最終決戦を前に、作戦参謀部長の桂木の出した決断は、美智子を、女として機動隊員の部屋に潜入させる事であった…。
そして、その機動隊員とは、四機の狂犬病の山崎こと、山崎一平(石田明)だった…。
革命の夢と現実と、美智子を愛する者達に翻弄されながら、11・26最終決戦の日は近づいてくる…。




【アールユーピーくんでつか作品+αを見る前提】

気付けばぼちぼちな期間、岡村おじさん演出の作品観てるんですけど、ようやくというかあずみ+新幕末1000本ノックの効果が出てきて見方が分かるようになってきた気がするのでまとめたよって話がメインです。割と真面目に何度見ても面白いと思えなかった熱海殺人事件と和解できるのではないか?(中屋敷演出だし)という期待をしてるんだ今。
多分、これを言語化すること自体が先方の感覚で言えばナンセンスなんだろうけど、私は言葉には力があると思ってるタイプのオタクなので知ったこっちゃないな!wwwwww



プロローグ:岡村おじさんは物語も言葉も全然重要視してないと思う、とあずみ戦国編2016のパンフを読んで感じたという話
mishu-h.hatenablog.jp



まず、アールユーピーくん以外がやるつか作品も何作か見たことあるんだけど、これが基本的に面白いと思えたことがなくて。アールユーピーくん(というか岡村おじさん)特有演出としてのメタネタとかあれとかそれとか、いわゆるオタクにめちゃくちゃ嫌がられまくってる部分が実際につかさんが演出していたものとどれくらい乖離してるか、つかさん演出を見たことのない私には知る由もないんだけど。実際にそういう演出がないverのつか作品がほんとに面白くないと思った、という経験だけが私にはある。
でも、舞台制作に関わる人たちってつか作品に影響受けた、とか劇団旗揚げ当初はつか作品の上演やってた、とかいつか出演してみたかった、とか割とよく聞くんですよね。その中にはもちろん、私が「この人の作る舞台は面白いなぁ」と思う人がたくさんいて、じゃあそういう人たちの基礎を作り上げ、影響を及ぼした作品はほんとに面白くないのか?と思うわけです。

文字媒体としての作品に触れたことはないんだけど、何作か見てると昨今のコンプライアンス的に真っ先に指摘されるだろう「男尊女卑な描写や台詞」は作品の時代背景を考えたら特段不自然ではないと思う。むしろそういう部分を大仰に、様々な作品に渡って繰り返し描く傾向にあるのは、その時代のことをリアルに描きたいというより、「そういう時代の空気感の中に生まれたからこそ特異なもの」というテーマを描くための共通演出なんだろうなと感じる。
なので、これはアールユーピーくんに限らないんだけど、基本的に舞台作品としてつか作品を好む人たちって、「物語そのもの」よりそこに込められた「思想」とか「演出方法」に衝撃を受けて、凄い!面白い!と感じたんじゃないかなぁ、と。
もちろんその時代をリアルタイムに生きてきた人たちにとって、それはまさしく自分の物語だったんだろうと思うし、逆にそうであるならその世代ではない層にとって全然面白くないのも当然なんだろうなと思う。時代背景に密接な物語であればあるほど、頼りとしている共通認識が変化すればそれは物語自体が力を失っていくのと同義だから。

とすると、個人の好みは置いといて岡村おじさん演出の方向性が一つ分かってくるかなと思う。成功してるかしてないかは置いといて、時代が変わってもつか作品の描くテーマを伝えるために、現代の共通認識で快・不快を翻訳しているということだ。成功してるかしてないかは置いといて。個人的に、不快の翻訳は割と上手いが(というか元々時代に合ってないとされる描写が多くなってるので、そっちに寄りがち)快の翻訳が全然上手くないと思うけど。前述の通り物語とか言葉そのものにこだわりがない人だから、翻訳の方に意識がいきすぎて演出ありきになりがちなんだろうなというのはつか作品以外の演出やってる時によくあるパターン。あずみ幕末編がほぼほぼ新幕末になってる…!って上演当時怒ってた知人の気持ち、多分今なら分かる。
この翻訳については演出自体の罪であるけど、つか作品におけるテーマがどこにあるのか?っていうのを読み解く→表現するというところができないまま舞台の上に立ってる役者の責任も大きいと思う。まぁ、そういう役者は大体すぐ名前挙がらなくなるんだけど。



「つか作品の見方」というのを言語化するくらい真面目に考えてみるかな、と思った理由の一つには、この人すごく独特のお芝居をするなぁ上手いなぁ、と思う役者がつか劇団に所属していた、演出指導を受けていたっていうパターンが増えたこともある。もちろんその役者にもともと才能があったんでしょ?と言ってしまえばそれまでかもしれないけど、みんな揃ってつか作品に関わったタイミングで才能が開花するとはちょっと考えづらい気がする。もちろんそういう逸材がぽろぽろ現れたことで、前述したような「明らかに作品の世代ではない層」が演出家としてのつかさんを支持していた、という可能性はあると思うけど、偶然の円環よりもつか作品をやることで得られるものがある、と考える方が自然じゃないかな。

「表層の感情に捉われることなく、つか作品の本質であるテーマを次世代に継承していくこと」がアールユーピーくんでつか作品を上演し続けることの意義だとするなら、もう一つの意義は「このテーマを表現できる役者を発掘・育成すること」なのだろう。このパターンに合致しているのがまさしく今回の飛龍伝でいうところの石田・味方だと思う。
たとえばつか作品の特徴として挙げられるあの早口でのセリフまくし立て等の演出意図について、岡村おじさん本人が言葉足りないながらにツイートしてるのでまずはそれを引用してみる。

俳優の技術論だが、稽古場でよく「あきるまでやれ!」と言う…。これは「あきる」ことに意味があるのではなく、瞬発的な感情を「根源的な情熱」に落とし込むことだと思っている…。瞬発的な感覚は当たりハズレがあるが、根源的な情熱は確実に爆発する。菅井はこれを体得して上手くなった!
https://twitter.com/okamurashunichi/status/1229187787619856385

現代演劇の手法だが、観客が着いてこれない位の速さで物語を展開して「説明」をハショルというやり方がある…。この難点は、必死で喰らいついてくる人には楽しいのだが、どうでもいいと思っている人には解りにくい説明になってしまう。くどくど遅くやるか、すっ飛ばしてでも展開させるか…難しい選択だ
https://twitter.com/okamurashunichi/status/1177772602883837952

これは我々つかこうへい一派の難しい一面でもあるのだが、頑固な一人称表現に撤すること…つまり、間違っていようが乱暴であろうが、たった一人の目から見た物語を死守するかたくなさがある。その言葉にした表現が正しいかどうかではなく「ひとつのものの見方」に意外性と特殊性があるから難しい…。
https://twitter.com/okamurashunichi/status/1176679624283049984

劇中では、人間は悪意をむき出しにして善意を胸に秘める。それが見ていて気持ち良い人間の「かたち」だからだ。しかし一般的には、善意を見える様にして悪意を胸に秘めるのが普通の人間の「かたち」になっている。演劇が役に立つことがあるとすれば、この意識を伝えることができることなのかもしれない
https://twitter.com/okamurashunichi/status/1173378325672128512

これは「つかこうへい流」であることは言うまでもない。徹底的な「一人称」つまり主観に対しての登場人物しか必要としない作劇方法だ。それぞれの役者も人間だから「ああやりたいとか、こうやりたい」みたいな感情はある…しかし徹底的に「主観」のための要素となれるかどうかが観客の評価につながる。
(https://twitter.com/okamurashunichi/status/797221464676044800)


「(前後にめちゃくちゃ余計な言葉入ってるけど)なるほどな…」って思ったツイートがさっぱり見つからなかったので引き続き捜索しますw
ばっさり要約するとこんな感じの演出意図があるんだよ~的な話をたまーにしてるんですよね。

・人間は心にもないことを言うことがあって、それは本心ではないけど自尊心ではある
・主人公を取り巻く環境変化の速度≒セリフの速度

私はこれまでアンサンブルに至るまで全員が「できている」作品に当たったことがないので、あの早口まくし立ての悪さばかりが目につくのも仕方ないと思うんだけど、基本的にあれは「できる」役者がやるとあの速度でも聴き取れる。いや、こういう演出意図があるってことを考えたらそもそも聴き取れる必要がない場合も多々あるし、聴き取れること自体が演出意図に背いてるので結果としてますます本質からかけ離れているという側面はあると思うけど、できる役者の台詞は間違いなく意味まで耳に入ってくる。私は芝居経験ないので知らんけど、なにせ前述した「独特の芝居をする上手い役者」は大なり小なりセリフ回しにこの性質を含んでいるので、「早口+意味」ができるようになるということは芝居の糧になるんだろうなぁと思う。テーマを表現できる役者≒つか作品のためにのみ存在しろ、ということではなく武器の一つとして見出されて磨かれてるものなんだねぇ。



さて、アールユーピーくんのつか作品に出る役者という枠についてはもう一つの側面がある。これは割と分かりやすくて、敢えて嫌な言葉選びをするなら「禊と箔付け」。
岡村おじさんはオタクにはめちゃくちゃ評判が悪いんだけど、幸か不幸か舞台制作やテレビ界隈の方には顔が効くタイプの人なので、大きなタイトルの2.5作品に出演していた若手俳優やアイドルグループを卒業したばかりの女優が起用されることがままある。もちろん全員に適用されるパターンではないけど、映像方面に売り出したいという戦略はあるんだろうなぁと思う。

で、このパターンの時にメタネタで出演作品とか卒業したグループの話をいじられるのはこの「禊」の側面が大きいんだと思う。より良い言葉選びをするなら「役者個人ではどうしようもできなくなったレッテル剥がし」かな。先に良い言葉を選ばなかったのは作品やグループに思い入れがあるオタクからしたら「人の大切な思い出に汚い手で触るんじゃない」とキレること間違いなしだからです。実際私はめちゃくちゃキレた。
一方で、実際問題「2.5作品では人気が出たけど他の作品には全然客が来ない」とか「元アイドルだけど本人の名前が売れてないからその看板を外すことの方がデメリットになる」とかよくある話で、役者にとって経歴から得られるものが恩恵ばかりとは言い難い状況は存在する。そういった状況を打開して、良くも悪くも0地点に戻す手段としてこの「禊」は存在するんだと思う。すっごい前向きに捉えると。0になってからどうなるかは個々人の次の課題だけど。

「箔付け」は分かりやすく「禊」の対価に近い。「初舞台」「卒業後初めて」「大きな劇場で主演」「あのつか作品」という名目は0地点に戻したところからスタートするキャリアの第一歩としては十分なんだろうなって。これで先のつか作品テーマを表現することに長けていたら評価はプラス加点だし、正直上手くなくても耳ざわりのいい看板はしっかり残る。
興行側にメリットがあるように、役者にとっても「過去こういう作品に出てました」「こういう団体に所属していました」という紹介がてらその看板を外させることと、「華々しいキャリアの1ページ」を担保することはメリットで、だからこそぼちぼちな頻度で不完全燃焼しててもなお興行が続いてる側面はあると思う。



見方、なんて偉そうな言葉を選んだけど、私はこんな感じの変遷を辿ってアールユーピーくんにおけるつか作品の上演の前提認識が出来上がりましたとさ。

「つか作品のテーマを次世代へ継承するための演出」
「テーマを表現できる役者の発掘・育成の場」
「役者自身の禊と箔付けの場」

あとは簡単で、「そういうものだ」と思っておくと見え方というか、楽しみ方が変わってくる。プロローグ(3年前)の記載からズレるけど、根幹のテーマが作品ごとに極端に変わらないこともあって、現状の私がアールユーピーくんをそこそこ楽しんでいるのは「重要視されていない物語を見ること」を捨てたからだと思う…w

ニュアンスとしては役者個人ではなく、演じているキャラクターというフィルターを通してのみ見る2.5作品とは正反対で、物語というフィルターをかけながら役者個人を見るドキュメンタリーに近いかな。この辺りは主題やそれを表現する演出に偏りがちで物語を疎かにしがち、という岡村おじさんの性質も加担してるし、すごくテレビ的な感覚だなと思うけど。
大したことないな?と思っていた役者が公演期間中に突然化けたり、安定感のある打率でテーマを表現してくる常連組を眺めたり。そういう役者個人とかバックステージを透かして見てるという点においては、作品を通した成長を醍醐味の一つとする若手俳優とかアイドルは親和性が高くてこの興行体系にハマりやすいんだと思う。身も蓋もないなこの結論。

とはいえ、物語より根底のテーマを見ることに注力すれば無駄な体力使わなくて済むんだなぁと分かったところで、もともと物語を重視する私は本来であればそこで満足したくて。そうしたら今年の熱海殺人事件が「物語を重要視する」タイプでもある中屋敷さんが演出なので、これはマジで和解できるのでは???????????と期待してる。
というわけで、モンテカルロ・イリュージョンで木村伝兵衛を演じるたわちゃんがゲスト出演した回の飛龍伝を観てきました。(長すぎた前置き)






【2020年こそ熱海と和解できるかもしれないseason飛龍伝】

上にだらだら書いたような認識を基に観た飛龍伝2020、大枠の構成というか役の配置がおおむね新幕末で笑ってしまったwwwwwいいけどwwwww
とはいえ似たような構成の中でもフォーカスを当てている箇所が違ってて、主人公=物語の主人格なのが新幕末(と、ついでにあずみ)で、主人公=物語の象徴なのが飛龍伝なんだなぁと思った。

主人公を取り巻く環境変化の速度≒セリフの速度(要約)(出典捜索中)」という演出意図は新幕末にもあずみにも当てはまるから、主人公である総司/あずみがそのまま物語の主人格であり、彼女らの一人称視点でのみ物語は進んでいくというのは割と腑に落ちる。「人斬りである沖田総司は女だった」という設定の新幕末で『人斬り』に振り切ったれな総司と『女』に振り切ったきたりえ総司を対比して見るのが私はめちゃくちゃ好きで、あれは物語の主人格としてどちらの要素により強度を持たせるかって話でしたね。

一方で神林美智子はそもそも飛龍伝の主人格であることを総司/あずみほど求められてはいなくて、あらすじにもある通り『祭り上げられた象徴』として存在することが重要なんだなぁと思った。にもかかわらず『委員長』と『美智子』という要素のどちらかに振り切れそうな予兆があるから菅井さんは怖いんだなと。
『委員長』と『美智子』は『人斬り』と『女』くらい二面性がキッパリ分かれてるんだけど、総司/あずみよりその要素をスイッチする回数が多いのにあの速度で出し入れしてくるのがすっごい怖かった。理性と本能、狂気と正気のスイッチが蛍光灯みたいにぱちぱち切り替わる。本来、神林美智子に求められている慈愛とか聖母のようなものとは違う、異形っぽい神性を感じた。おとぎばなしの悪い神さまみたいに呆気なく死ぬし、死んでも全共闘40万と機動隊員の中に生き続けてるんだろうなっていう妙な納得。

主人格としての強さ、って意味だとれな総司>>>きたりえ総司>菅井美智子、って感じなんだけど、物語に求められてるものがそもそも違うって意味だとずーみん水野と対比させるのが面白いかも。ずーみんは合ってるところは0ズレ大爆発、合ってないところはびっくりするほど噛み合ってないって感じだったなって思い返すけど、菅井美智子は一瞬ごとに切り取ると大体合ってるのに、それがどういう線で繋がってるのかが全然見えないのが怖い。どういうことだ。対伊豆沼みたいに完全に振り切ってどっかいっちゃってる姿を見る方が逆に安心した。菅井さんずーっと「化けそう」って雰囲気持ってたし、大阪どんな感じだったか見たかったなぁ。



じゃあ飛龍伝という物語の主人格は誰か、っていうと完全に桂木と山崎なんですよね。
私は新幕末だと週5でディズニー連れていってくれる男と幸せになれよ!!!!!!!と思うタイプだけどw飛龍伝は割とさっさと山崎に軍配が上がるのに、桂木の………なんていうんだろう、愛嬌というかダメな男をこそ愛らしいと思え、みたいな部分に他でもない山崎が愛着を持っててお前らそれ美智子抜きでやれなかった?wと思っちゃうところがあって。だからこそ美智子が主人格じゃなくてよかったというか、菅井さんで飛龍伝やった理由なのかな~と思ったりした。あと、今回ここを担ってるのが味方石田、私の新幕末でいう桂と龍馬なので、熱海とか諸々一周回って戻ってきた感すらあった。色んな作品で違うタイプの役を交互にやりつつ、2人の素養が異なってると観客も制作側も確信したからこそ、あるべきところにあるべきピースが収まってる状態で飛龍伝できてよかったね、とさえ思う。

一方で、小澤細貝がこの方向のキャラにそれぞれ配役されるのはアールユーピーくんならではだなぁって思う。亮太くん演じるねずみの変わり身の早さにはすごく人間っぽさがあって、全共闘に可愛げが生まれる余地はここだった。そして細貝おにーさんの伊豆沼が嫌いなオタクなんかいねーよ!w「伊豆沼圭」は過去最高に語感が良すぎて大天才だったな……(アールユーピーくんはメインどころ以外役者の名前そのまま使われる)
あと宝めっちゃ良い役者だな………という話をしようとしたら公式のどこにも名前がクレジットされてなかったという事実への衝撃と、やっぱりあつき@熱海を見逃したのは人生最大の失敗だな………という後悔が同時に襲ってくる私を優しく包み込んでくれる小柳くんに拍手。創さん大石さんと同じくらいここの畑住んでるんですっけ?って感じで違和感無さすぎて、智則さんとの応酬がしばらく小柳くんだと分からなかった。
早口まくし立てセリフ、意外と出来る人がやると意味が耳に入ってくるんだよというとこだと、今回はかなり意味が耳に入ってくる人が多かった印象。こっちのリスニング力が上がってるのかもだけど。私のスキルはほぼ新幕末で出来てるので「馬鹿って言われて3人殺しちょるけんね、馬鹿って言っちゃあいかんよ」でにこにこした。

ゲストのたわちゃん。出るっていわれて飛龍伝のチケットとった程度には私の中で期待値上昇し続けてるたわちゃんのパラダイスはどこで見れますか!!!!!!!!!!!!!
たわちゃんのパラダイス(非実在)に金を払わせてくれ!!!!!!!!!!!!!!
京都大学の多和田、まじでちょっとしか喋らないのに「すごい……これは熱海で伝兵衛と和解できるかもしれない…」というわくわく感が止まらなかった。「え、もう帰るの?やーだー!」って言ってる辺りが特にw
細貝おにーさんと智則さんのシンメに夢中で裏センターの宝に気付くの完全に遅れたり、これでもかってくらい陣形が綺麗なんだけど両サイドの立ち位置1番が違う方向にわやくちゃして踊ってるのがたまらなかったパラダイス、それでもたわちゃんにいてほしかった………中屋敷さん、熱海でこの悲しみを救ってくれ……



改竄・熱海殺人事件に続く。

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