愛より重くて恋より軽い

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観劇定点カメラ勢の「ここがすごいよゲキシネ髑髏城の七人 上弦の月」

タイトルそのまま、あの冬の間豊洲でぐるぐる回りまくってバターになったおたくが、ゲキシネ見てすごい!と思ったところをつらつら話します。一回全部吹っ飛んで消えて傷心なので、公演当時書いてた記事へのリンクまとめにもしておく。
















ゲキシネ上弦のここがすごい①「ここはめちゃくちゃ快適なステアラ」】

映画館で上映するゲキシネなら当たり前の話なんだけど、どの席に座っても前の人の頭がかぶらないSSR排出率100%の座席ガチャとか、ステアラ座席ガチャに敗北したことのある誰しもがすごい!!!!!!!!!!ってなりますよねやっぱ。

ステアラ髑髏城のゲキシネって上弦で4作目になるんですけど、これまで色々ありましたね。ぐるぐるカテコがなかったり、贋鉄斎の存在が消滅してたり。ゲキシネ上弦はカットされてるシーンが無いので、ぐるぐるカテコも含めてあの日あの時観ていた作品がそのまま見られます。これは先人のことを考えると、決して当然のことではないんだなぁ。
シーンだけじゃなく、スクリーンの映像もしっかり尊重されていて、映像が流れてる時は全景に切り替わる。特番でよく「360度回転する劇場」ってナレーションと共に流れてた、映像の前をキャストが歩いてるカットみたいなやつ。これ見るとなおさら回ってる気持ちになるね。
もちろん渡京と霧丸の逃亡シーンもあるし、客席側に固定されてるカメラ映像で見る髑髏城へ向かう道行きの無界裏で立ち止まる蘭兵衛も見られる。私これ、前方端っこの席に座った時見たことあるやつだよ………ここはステアラ髑髏城……




ゲキシネ上弦のここがすごい②「映像班のアップは凶器だし、スローモーションは裏切らない」】

ライビュやWOWOWでこの公演見たことあるのは私だけじゃないので、実際どれくらい違うの?っていうのはみんな気になるところですよね。これがすごいんだ。

ゲキシネ上弦の特徴の一つはアップの多さで、黄泉の笛や無界襲撃、百人斬り辺りの殺陣シーンもバストアップくらいのカットが結構多い。ここは引きでもよかったんじゃないかな?と思わないこともないんだけど。んだけど。それ以上にうわ~~~~~~~~~~~顔がいい~~~~~~~~~~~~~ってなっちゃう。さすが上弦顔がいい。
「現地で見たけど、後方だったから表情とか見えなくて」って感想ちらほら見かけて、後方で(むしろ前方でも)オペラ使うのって常識じゃないんだなって知ったんですけど、上弦はキメの台詞以外でも表情がアップで抜かれるような構成の作品をメインで仕事してる映像班が多いので、それが見えると見えないとでは大違いだと思う。あっちでもこっちでもウインク飛ばしてる姿を見ずして福士捨を見たと言えるか???ボロボロに乱れた髪の間から射し込んだ光を受けて、力なく微笑む表情を見ずして福士捨を語れるのだろうか??????前者は私もライビュで初めて見ました!!!!!!!初日・収録日・千穐楽にしかやらなかった、目を見開いたまま倒れる蘭もアップで見られるぞやったね!!!!!!!!

それともう一つ。ゲキシネのスローモーションっておたくが親を殺されがち(良くない意味)だったはずなのに、ゲキシネ上弦のスローモーションはまさかまさかのめちゃくちゃいい仕事をしていて、アップとのタッグが超秀逸。これも映像班が為せる技なのか?一瞬一瞬を切り取られても絵になるので、誰も死ななくて済むどころか、画力が強すぎて良い意味で殺される。速度つきすぎちゃってあと5手くらい足せそうな殺陣も、アップとスローモーションのカットインで超かっこよく演出されてるぞ!




ゲキシネ上弦のここがすごい③「オフになってるはずのマイクが生きてる」】

ゲキシネ特有の編集は映像に留まらず音声にも施されてます。

メインで台詞話してる人のマイクで拾ってるのか、フットマイクで拾ってるのか、聞いたことない音がガンガン聞こえる
六欲天ダンス途中の口上にエコーがかかってたり、荒武者隊のガヤ台詞が完全に把握できたり、川を流れる水の音がしたり。
前方席に入ってないと聞こえなかったような音、そもそも劇伴で消えてたような音が全部聞こえてくるゲキシネ。我々が知らない情報が、ここには存在する!
無界で次々斬られていくガールズたちが、各々の名前を叫ぶところをフューチャーするってか?
そういう生活音というか、劇伴以外の音をBGMにして進んでいく髑髏城って、ステアラ当時も特定の席に座ったことがないと見れないものだと思うんですよね。当たり前のことなんだけど、全観客に同じものを見せられるゲキシネってすごい。え~それ見てなかった~聞こえなかった~みたいなことが起こらないし、読唇術スキルをフル活用してなんて言ってたか推測する必要もない。すごい。
惜しむらくは無界を抜け出す時のきりちゃんの口笛が完全に劇伴で消されてたんだけど、我々はあの音色を忘れずに生きていこうね…みたいな気持ちになりますよもう逆に。





ゲキシネ上弦のここがすごい④「構成がアニメ」】

皆プロメアみた?みたよね?ちょっと最初の消火活動のシーン思い出して?ゲキシネ上弦の構成はそれです。いや、ほんとに。

これは真面目な話で、映像・音声編集によって作られたゲキシネ上弦は中島かずき脚本の新作アニメ」だったんですよ。
私、ステアラだけでも髑髏城の七人って作品を結構な回数見てるはずなんだけど、ゲキシネ初回でうわこれめっちゃアニメじゃんって思った。画面上に現れた見開き!4コマ!ぶち抜き!みたいな緩急が(この例えは漫画なんだけど)すっごくアニメっぽかった。
スローモーションやカット割りを絶賛しといてなんなんだけど、「笑止!」のスローモーションと、口説きの仮面アップは本当に必要だったのか?っていうのは多分誰しもが感じると思うんですよ!w 私は、ああ~、いい角度が撮れなかったのかな~とか思ったんですけど、幸か不幸かそういうのもちょっとアニメっぽいというか、画面上の緩急作りに一役買っちゃってるんですよ。多分初見だと違和感無いと思う。そういう意味では、もっと他のところ映してほしかったよ!って思うのも、現地組ならではの感情なんだろうね。


私が定点してたのが天蘭なので、どうしてもこの二人の話になるのはゆるして。
天魔王に関しては、殺陣だけじゃなく扇子の扱いだとか、指先の何気ない所作だとか、そういう一目見て異質だと分かる要素がかなり削られたなって思いました。それはアップだったり、カット割りだったり様々なんだけど。
でもこのオミットによって、上弦捨天蘭のパワーバランスはそこまでかけ離れていないという印象になっていて、それは結果として「捨之介が天魔王に負ける」「歴代最弱の天魔王」という月髑髏の本質をしっかり浮き上がらせていたと思えたんですよ。個人の好みはあると思うけど、私は太一さんのお芝居がすごく好きなので、そこにより注目してもらえる構成になったんじゃないかなって思えて、すごい好き。

蘭に関しては、あの、あとでリンク貼る公演当時のブログとか読んでもらえれば分かるんだけど、あの時期の収録に向けて作られた調整蘭が、ほんとに嫌で嫌で仕方なかったんですよ私は!!!!笑
実際そこにかなり不安感覚えつつゲキシネ見たら、次の項で話す群像劇的な構成の中では、この調整をすることが作品としての分かりやすさを上げて、理解を促す上での端的な手段として、正解ではあるんだろうな、って理屈ではなく肌で感じたんですよ。もうここ感覚論でしかないんだけど。
「調整蘭やだ!!!!!!!!!」で止まってた気持ちが「稽古から公演期間中に、三浦翔平という役者が作り上げてきた蘭兵衛はこれじゃないんだよな」ってところまで進んだのは、逆に進歩だと思います。これは不満というより、肌で感じて納得したからこそ出てきた寂しさみたいなものなんだけど、ほんとにこの人が演じる蘭に出会わなかったら私は生涯でこんなにも無界屋蘭兵衛のことを想う日々はなかったので、マジ感謝………………


というわけで、たとえばゲキシネ上弦が髑髏城初見でも、中島脚本のアニメ見たことある人なら「ああ、中島作品にこういうキャラよく出てくるし、こうやって畳みかけるように濃いキャラ出てきた後で主人公バーン!だよね~~~」って違和感なく感じられる作品になってると思う。
こう書き出すとそもそも脚本としての髑髏城がめちゃくちゃ中島かずき定型作品なので、構成が寄ったことでアニメを感じるのは必然なのかも。




ゲキシネ上弦のここがすごい⑤「群像劇としての髑髏城の七人」】

これはちょっと④の続きっぽくもある。髑髏城が群像劇だなんてことはゲキシネどころか、ステアラに来る前から変わってないことなんだけど、半永久的に現地で定点カメラし続けてた私にとってゲキシネは、「群像劇作品としての上弦」という完成度が極めて高いものだったんですよという話。

「群像劇 - 主人公にスポットを当て、それを取り巻く人々という見方で脇役を描くスタイルの劇ではなく、登場人物一人一人にスポットを当てて集団が巻き起こすドラマを描くスタイルの劇のこと。」


各々のキャラクターに物語があって、バックボーンがあって、それらが絡み合ってあの話が構成されていることはもちろん知ってるけど、とはいえステアラに限らず舞台を生で観るということは、一方に注目するあまり他方で起きたことを見逃す事態がまま起きるということだと思うんですよ。個々人の芝居が細かくて、それを観るのが楽しいから定点してた上弦ならなおさら。
そんな生で観ててもめちゃくちゃ情報過多コンテンツは、単純に映像化するだけでもオミットされる情報が多いのは仕方ない。チキチキ視線泥棒大会だった上弦は、終演後のレポで「ここで捨ときりちゃんが無駄話してる」「蘭兵衛とガールズがやりとりしてる」「天魔王が剣布を椅子にしてる」とか見て、よし今日はそれ見るぞ!って強固な意志を持って複数回入らないと見れないものがたくさんあったし笑
ゲキシネも、ここは台詞言ってる側の表情映してほしかったんだよ~とか、この見切れてるところですごい体勢になってるんだよ~とかがやっぱりあるんだけど、そういう沢山存在していた要素を一つでも多く、かつ各キャラクターに対して平等に取捨選択してぎゅっと固めたのがゲキシネ上弦だった。

この平等に、というのがかなり重要な話で、定点してた人間からすると全然映ってないな!って感じる部分のオミットが、前述のとおりマイナスではなく、全体に対してプラスに作用してるんですよ。
それは取捨選択のルールが「偶像劇作品」というところを目指してたからだと思う。だって、あそこ映ってないな~!と思ったシーンで映ってる画が必要ないなんてことは一つもなかったから。この話の流れ的にはここがクローズアップされるでしょう、って当たり前に納得できる。むしろ本筋じゃないところでの情報が多すぎたんだよ!w


何度でも言うけど、定点自体は好きな役者やキャラクターが生きている時間を、それこそ一瞬でも見逃したくない!って想いからの行動なんだけど、それって作品の主題を追う上では過剰な情報供給でもあったんだな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ってゲキシネ上弦見てめちゃくちゃ思った。個々の芝居の情報量が多すぎる上弦ならではの現象かもしれないけど。
そういう過剰なものを編集でそぎ落とされた結果、定点の時に取りこぼしていたような当たり前に感じるはずの文脈が見えてきたりして、この公演、ライビュで見たしWOWOWでも見たのにすごい新鮮!!!!!!!という驚きの体験ができた。ゲキシネは最高。




【公演期間中の記事まとめ】

何本書けば気が済むんだよ、と当時思っていたけど、ほんとに数が多い。一括で飛べるリンクが欲しかったのでここにまとめます。
初日から妄想の天蘭の話とかしてて、これ現実に起きたことなのかな……って我ながら思う。

mishu-h.hatenablog.jp
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一回全文吹っ飛んで涙目になって書いたので、誤字とかあったらひっそり教えてください。
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