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ミュージカル「少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~」の話をしよう

―――もうひとりの僕よ、世界を革命する力を我に
(「少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録」より)





ミュージカル「少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~」公式サイト

幼い頃に自分を助けてくれた王子様に憧れ、王子様になりたいと願うようになった少女・天上ウテナは、入学した鳳学園で「薔薇の花嫁」と呼ばれる少女・姫宮アンシーと出会う。
エンゲージした者に「永遠」に至る「世界を革命する力」を与えるという「薔薇の花嫁」をかけて戦い続ける生徒会役員(デュエリスト)たちは、ウテナがかつて王子様から貰った指輪と同じ「薔薇の刻印」と呼ばれる指輪を持っていた。
ウテナもまたこの決闘ゲームに巻き込まれ、その背後にある「世界の果て」へと迫っていく……。

ミュージカル「少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~」 - 動画|GYAO!ストア|アニメ



ミュージカル『少女革命ウテナ~白き薔薇のつぼみ~』ゲネプロレポート|まるで螺旋階段を駆け上がるような高揚感!|numan

シブゲキという、見やすいけど横幅の小さい劇場の客席に入ってまず目に入ったのは、アニメで幾度となく目にした四隅に薔薇を配置したあのフレームでした。

観劇が趣味になったきっかけは2.5次元作品で、ミュージカルも好きなんですけど、数年後に間違いなく出るであろうBlu-rayボックスを待てずにDVDボックスを買うくらい大好きなウテナという作品のミュージカル化、というだけで公演が決まった瞬間からとにかく不安ばかりでした。アニメ作品の舞台化が珍しくなくなってきた2018年に、しかもミュージカルで、実際にキャストが発表されても女性陣が多いので知らない人の方が圧倒的に多くて、オフィシャルの写真はイマイチで(後述しますがカメラマンは各キャストに100回謝った方がいい)、目玉的な扱いをされていた『絶対運命黙示録』を歌うことも「分かりやすくアニメと比較できてしまうから、ダメだった時のショックがハンパないのになんてことしてくれるんだ…」くらいに思っていたのが本音で。


それが初日に全部杞憂に終わったことがとにかく嬉しかったんです。


カーテンコールでキャスト全員が並んだ時、たった12人でやっていたのか、ということに改めて驚くほどに狭い板の上で入り乱れる登場人物たち。据え置きのセットと、歌と照明と小道具と役者がいて、各々の表現でなにが描かれているのかを観客がフルに想像しないといけないところがすごく演劇的で、すごくウテナだな、と思いました。
テレビシリーズ1~12話をほぼ時系列通りに、各キャラクターの会話を同時進行させながら展開していく構成だったんですけど、演出の各所に13~最終話を想起させるような作りがあったり、映画版の要素が含まれていたり、吉谷さんってそういうことするよね……という感想を抱きしめました。



というわけで、原初のアニメ記憶がセーラームーンから始まり、そこからレイアースとか所謂「戦う女の子」アニメで育った結果、幼心に半分トラウマ抱えつつ忘れることのできなかったアニメの監督が、図らずもセラムンシリーズで断トツに好きな映画「劇場版美少女戦士セーラームーンR」の監督と同一であることに気付いてから今も「少女革命ウテナ」という作品を大切な宝物にしている観劇おたくが2018年版ミュージカルを見た話をするよ。

がっつり原作ファンの感想が読みたい!という自分の欲求に従って生まれた主観満載感想なので、なんのこっちゃ分からんという方はひらりささんのすごく丁寧なのに簡潔で分かりやすい感想をどうぞ。
zerokkuma.hatenablog.com







【いつか見た夢の女の子】
【棺の中の男の子】
【桐生冬芽という男】
【革命前夜の二人】
【つぼみは咲かなくては、散れない】







【いつか見た夢の女の子】

ついったーとかで感想を検索してもらえば分かるんですけど、とにかく女性陣が歌が上手くて踊りが上手くてお芝居が上手い上に超かわいい!!!!!ということを改めて声を大にして言いたい。オフィシャルサイトの写真撮ったカメラマンが悪いのか、みんな写真映りがよろしくないのか、原因はどっちでもいいんですけど間違いなく前者だ。公式サイトのキャスト一覧の中に実際に板の上に立ってる子はいませんでした。こんなかわいい子公式サイトにいた!?という感情を影絵少女に至るまで全員に感じたので、オフィシャルは写真の力をもう少し重要視したほうがいいと思いますほんとに。

特に初日観劇前最大の不安要素であった『絶対運命黙示録』は、今回構成された1~12話期に使われていた女性合唱が強めの印象をそのまま表現していて、1フレーズ目から本当に涙が止まらなくて。アニメと舞台のシンクロ地点、という効果を正しく発揮していたんですよ。
舞台における群唱、同じセリフを同時に喋る手法と今回の絶対運命黙示録の合唱は近いようで違っていて。前者は各々の役としてセリフを発する場合もあるけど、後者は完全にそれを除外した、音としての演出だったと感じました。だからこそ、声量はもちろんのこと、音域にも幅がある女性キャスト陣の技量が光る瞬間でもあったなぁと思っていて、あの音圧を全身で受けられることは今回の劇場がシブゲキでよかった!と思える唯一の利点だったかもしれない笑

2.5次元舞台って、原作ファン以上にキャストのファンに興業を支えられているという側面が大きいジャンルでもあるので、女性向け作品のような男性キャストメインの興業が主流だし、女性キャストをアイドル界隈から連れてくる(=一定の集客数担保)ことも多いです。実際私もこれだけ女性キャストが出てくる2.5次元作品を観るのは初めてだったんですけど、歌とか踊りのレベルの高さを肌で感じられたし、セラミュみたいに女性キャストメインの作品として続いていってほしいなぁって感じました。



有栖川樹璃 as 立道梨緒奈さん

今作に、樹璃の想いの所在を示すペンダントは出てきません。だからもしかしたら、アニメ未視聴層には彼女が望む『奇跡』の正体が100%は伝わらなかったかもしれない。それでも、彼女が枝織に触れる仕草を注視していると様々な感情が込められていることに気付けて、セリフという言葉にさえならない表現でその想いが秘めやかに存在している事実にたまらなさを感じました。

アニメで誰よりも初期から設定画が変わらなかった樹璃は、そのキャラクター造形とは裏腹にベルばら的耽美物というパロディ的な作品の見方を提示することで間口を広げる役割を担っていました。めちゃくちゃ顔が小さくてめちゃくちゃ脚が長い立道さんは、その役割さえも再現してくれていたように思います。生徒会の制服は一切小細工ができない作りなのであの脚の長さは錯覚じゃないんですよ。

誰よりも華麗に、抜群のキレで踊る立道さんの樹璃は映画版のハイクオリティ作画の如き美しさで、飛んで回って殺陣もするのに一切ブレない歌声、という恐ろしさがもう樹璃様。全員同じ振付のはずのOPで、誰よりも手数が多いのでは?という謎の錯覚をしましたが、ダンサー/振付師もされている立道さんが正解のはずです。細やかなところもしっかり音にハマっている心地良さ。樹璃に憧れる生徒の気持ちを改めて体感で伝えられているような気持ちになりました。



桐生七実 as 鈴木亜里紗さん

細かく挟まれるシュールテイストなギャグ。果たして笑っていいのか?いけないのか?そんな客席の戸惑いを吹き飛ばすようにエンジン全開で板の上を走り回り朗々と歌う七実は、今作においてもやはりウテナという作品の世界観を『耽美で退廃的』に留めないために欠かせない存在でした。

私は2.5次元舞台をやるのにアニメに声を似せるのは必須ではないと思っているんですけど、あそこまで完成されてたらもう七実がいたと言うしかなかった。冬芽に甘え、悪い虫を嫌う声色さえも歌い上げているような響きで、東宝芸能所属なのも納得しかなかったです。この辺りから、私が存じ上げなかっただけで今作のキャスティングめちゃくちゃガチだな?ということを実感し始めました。

七実ソロの歌詞はアニメの七実回(アンシー・ウテナ部屋に遊びに行って、嫌がらせでペンケースにかたつむり入れたりクローゼットに生タコを入れたりする回)を見ていないと1ミリも面白さが伝わらない作りで、おそらく伝える気もなかったです。人を全力で置いてくその感じがすごく七実鈴木さんご本人も言ってましたが、この七実があの決闘服で二刀流を構える姿が見たくて仕方ないです。



篠原若葉 as 竹内夢さん

若葉のために踏み出した非日常、若葉が思い出させてくれた日常。ウテナにとって『日常』の象徴である若葉の明るい声が、非日常との境界で揺れる背中を押してくれる追体験を味わう日が来るなんて。太陽みたいに明るい子という形容そのままの笑顔は、時に苛烈に、時に穏やかに、各シーンの影を照らしてくれました。

ウテナとアンシーに平和な日常の時間が訪れる時、今作にはいつもそこに若葉がいます。二人の日常が崩れてしまった時も、やはりそこには若葉がいました。楽しい時も、悲しい時も、傍にいる。まさしく太陽のような彼女は明るくて元気で、だけどただ底抜けに明るいわけじゃなく、自分の中に渦巻く感情と折り合いをつけて笑っていて。憂いの感情を、表情ではなく佇まいや雰囲気で緩やかに伝えてくる竹内さんの若葉に、私はどうしても黒薔薇編の彼女を想ってしまったんだよなぁ。こんなにもパワーを持つこの声で、あの感情をぶつけられたらどうなってしまうんだろう。西園寺の言葉一つ一つに繊細に傷付き続ける彼女が、あの感情の渦中にいる瞬間はどんな表情をするんだろう。そういう、見ている側のほの暗い影さえ照らし出す太陽のような歌声が、ウテナの力になっていく様に何度見ても涙が止まりませんでした。



影絵少女A子 as 熊田愛里さん

絶対運命黙示録』に次いでアニメと舞台の世界観を繋ぐ役割を担った影絵少女。時に背景に、時に演出効果に、時に劇伴に。本役をあてがわれたキャラクター以外の役に留まらないその活躍は、アンサンブルさんが影絵少女を演じている、ではなく影絵少女がアンサンブルを務めている、という作品とリンクしたその構成に相応しい在り方でした。

モノトーン配色になった制服に身を包み、様々な表現で鳳学園を形作る彼女は、幹のエピソードにおいて梢を演じていました。愛らしい幼少期の梢が呼ぶ「おにいちゃん」という声の悲しい響きは、成長した彼女の「気付いてないんじゃない?」という言葉にはなく、良い意味で兄に執着のない梢が見られた気がしました。七実に対して語りかける梢の姿としてそれは正解で、その向こうに潜む感情を決して気取らせないところがすごく梢らしい。A子の時折周りが見えなくなるお芝居へののめり込み方といい、熊田さんは真っ直ぐで純粋な感情を表現するのが上手い人だなぁと感じました。



影絵少女B子 as NENEさん

狭い板の上で様々な小道具や演出を駆使して鳳学園を表現する影絵少女たちにとって、最小単位の手段はその身体。この手段を誰よりも使いこなして、数多の役割を切り替えていった姿が印象的だったのがB子でした。『絶対運命黙示録』のカウントに合わせて肩を使う単純な動作が、あまりにも音にしっかりハマりすぎていて、とんでもない人がいる座組だということに全力で慄きました。

「奇跡を信じて、想いは届くと」というセリフ以外を殆ど持たない枝織を、身体表現に長けたNENEさんが演じることで樹璃様との関係性が一言で表すことのできない複雑な感情の下にあることさえも表現されているようでした。樹璃を拒絶するように突き飛ばす時の冷淡さは真っ直ぐと伸ばされた細い腕の動き一つで描かれていて、それはあくまで樹璃の感情によるイメージの枝織に過ぎないのだと明言されており、その端的な切り替えは観ていて本当に心地よかったです。

CHERRSEEというKPOP系譜のダンスボーカルグループ所属だと知って一時納得したものの、お芝居経験も豊富なんだろうな~と思っていたらこれが初舞台だという事実に震えたのも良い思い出。




【棺の中の男の子】

女性陣が多い今回の座組において、ミュージカルと冠しただけある曲数を歌う今作の楽曲キーは女性メインで、狭い板の上に多人数が入り乱れる演出にも拘わらず長身キャストが多く、そもそも男女の人数差があるということにも起因して、男性陣は諸々大変そうだったなぁというのがまず最初に抱いた印象です。では男性陣について不満だったかというとそういうことでもなくて。男の子がどこか頼りなくて、女の子がたくましく美しいのはまさしくウテナの世界観だなぁと感じました。少女革命ウテナはお話の主軸が女の子たちなので。おたくという生き物は本当にちょろい。殺陣が得意なキャストもいた中、それを活かしきれなかった一因は間違いなく箱の大きさなのでシブゲキは恨まれても仕方ない。

シュールテイストのギャグパートがほとんど日替わりだったこと、その大部分を男性陣が担っていたり、本人が関連していなくても裏で相談を受けていたというエピソードが挙がることなど、2.5次元舞台の中でも大きなタイトル経験のあるキャストが揃っていたことは、座組にとって大きな力になっていました。女性キャスト項で触れたような、男性キャストが大多数を占める2.5次元舞台で主流のパワーバランス内で女性キャストが担ってきた『彩り』の役割を、経験も力量もある役者が作品のパワーバランスに従って担ってくれたことは、この舞台の成功のために絶対的に必要なことでした。

また、作品そのものが持つテーマや表現技法によって一種カルト的な支持を受けるウテナという作品の舞台に、あれだけ日頃から舞台を観る層を呼べたのは間違いなく男性キャストのおかげだったと思います。
2.5次元舞台が作品そのものの評価を離れて、単体で評価を受けるためにはキャストファンの支持が必要不可欠です。私は今作が舞台作品単体としてもすごくいいものだと感じたから、原作ファンだけの閉じた世界のもので終わってほしくなくて。そういう不安が予想よりもずっとずっと杞憂になったのは、男性陣がお芝居を評価されている人たちで、共演者や作品に対しても同じようにお芝居としての目線を向けてくれるファンを持っているからこそだと本気で感じています。それもまた、誰もが持っているわけではない力量の一つで、そういった点から見ても男性陣のキャスティングは非常に巧みでした。



西園寺莢一 as 横井翔二郎くん

ウテナ・アンシー・若葉と、生徒会で誰より多重に関係性を抱える西園寺が今作において最も比重を置いていたのは、間違いなく冬芽です。物語の序盤である今作でそこに焦点を当てたことにより、横井くんの西園寺は終始道化と呼ばれながらもアンシーへの執着を叫び、遠い日の敗北を噛み締め、冬芽へのコンプレックスを露わにする。西園寺が各々の関係性において決して除外することのできない存在であることを描いていました。

冬芽との再戦に向かうラストシーン中、ウテナにその術を渡す樹璃、勝利の暁にはその姿勢を追うと誓う幹、そして登場時からの自身の望みを手放さないことを宣言する西園寺の構図は、映画のラストシーンにおける三者そのものです。アニメにおける同時点ではアンシーに置かれていた比重を変え、全ての行動起因が冬芽に続く構図になったことで、彼のアンシーに対する執着がただの支配欲でも冬芽への対抗心でもないことを示し、あらゆる世界で不変であった西園寺の在りようはやはり不変であることを彼は証明していました。

そして私には天然でボケを炸裂させるタイプの役でしか観たことのなかった横井くんが、あんなにも全力でギャグかまし続けるところは想像できなかった。ほぼ全公演別パターンで構成してくるところに本人のストイックさと真面目さを感じると共に、今作一つで男性の観客から大変な人気を獲得していたのもさすが西園寺と言わざるを得なかったです。



薫幹 as 大崎捺希くん

本人の意思に関わらず、その愛らしいビジュアルによって巧みに煙に巻かれていた幹のエゴイスティックな感情が白日の下に晒された、今作だけが持つある種のカタルシスウテナのテーマの一つである『王子様』への批判に最も肉薄していたのは、やはり生徒会最年少の彼でした。

「どうして誰も輝くものになってくれないんだ」という言葉には、幼い彼の中に存在するエゴの全てがつまっています。たった一言で表現しきれてしまう、けれど彼自身にとっては悲痛な叫び。大崎くんの幹から零れる叫びはあまりに悲壮で、2.5次元舞台となった今作において、一番生を受けたキャラクターであったのは幹だと感じました。けれど同時に、ウテナに諭されたことでその考えをすぐに改められるのもまた、幼い彼の良さだということを再確認させてくれる、後腐れのない賑やかな日常への切り替え方は絶妙でした。

今作は『絶対運命黙示録』以外の全楽曲がオリジナルのため、当然幹が弾く思い出の曲もオリジナルなのですが、大崎くんは稽古場でアニメの『光さす庭』を練習していたそうです。日替わりシーン以外には遊びのような変化を挟まない、真面目さにどことなく幼さを感じる彼は、幹と共に梢に翻弄される姿がもっと見たくなるような、こちらの悪戯心をくすぐる存在でした。



冬芽・幼少期 as 池田謙信くん

幼少期の冬芽は、現在の冬芽とは異なる存在であり、ウテナの記憶に残る王子様とも似ているようで異なっていなくてはいけない。ウテナから、西園寺から、そして観客から様々な役割を求められてもなお、彼はその気高さを失わなかった。

育ちが良くて、聡明で、勇敢で、けれど自分の無力さを自覚していて、少し見栄っ張りで。池田くんの冬芽は、西園寺のコンプレックスを刺激するのに十分すぎるほど冬芽のパーソナルを網羅した存在でした。一方で、今作の『理想の王子様』を同時に表現してみせる器用さがあり、非常に目を引かれるキャストでもありました。

現在の冬芽よりも幼少期の冬芽の方が正統派の王子様に見えることは至極当たり前のことで、それは求められる役割でもあるけれど、それでも「たった一人で深い哀しみに暮れる小さな君」とソロで語りかける池田くんの声はどこまでも穏やかで優しくて甘くて、ああ王子様だなぁ、と心から思えた存在でした。ディオスが視覚的に必要な場面は今作になかったけれど、もしそれを演じるとしたら間違いなく彼だと思います。



西園寺・幼少期役 as 山内涼平くん

幼い西園寺の心に生まれた小さな劣等感は、その時点ではまさしく『つぼみ』のまま。どことなく弟を思わせる冬芽との対比の中でも、自身の思い描く王子様像の模索を思わせるあどけなさが、山内くんの西園寺にはありました。

幼少期の時間軸を演じるときだけ、山内くんと池田くんはそれぞれキャラクターカラーのメッシュをいれています。その視覚的効果により切り替えられた役割を表現する彼の西園寺はどこまでも幼く、邪気がありませんでした。貼り出された若葉のラブレターを笑っていた生徒の面影を忘れ去るほどに、所在なさげにさえ思える佇まいで板の上に存在する彼。ある時は七実に足蹴にされ、またある時は影絵少女たちのUFOになり。吉谷さん演出作品でアンサンブルがいかにありとあらゆることが出来ることを求められているのか、改めて実感することとなりました。




【桐生冬芽という男】

別枠で 切り出すくらい 冬芽が好き(全力字余り)


桐生冬芽 as 戸谷公人くん

ウテナにとって奇跡かもしれなくて、輝くものかもしれなくて、それでも『日常』へと戻るために越えなければいけない王子様。観客にとってはハリボテの、虚構の、ウテナの遠い日の記憶とはかけ離れた王子様。良くも悪くも冬芽はウテナという作品のキーワードである『王子様』として存在する天命を持つ男です。今作でそれを改めて歯がゆく、愛おしく感じることになりました。

プレイボーイな振る舞いが骨の髄まで染みついているアニメ冬芽より、ウテナの夢の形を限りなくそのまま持っている映画冬芽に近くて、けれど芝居の精度が真骨頂に至るのはそのどちらの顔でもなく、自身の欲に突き動かされる瞬間であった戸谷くんの冬芽。元々桐生冬芽という男が作中で持つジレンマもひっくるめて大好きで愛おしくて仕方がない私にとって、彼の冬芽はそのジレンマからの逸脱ギリギリのところに存在してくれる、永遠に訪れるはずのない『桐生冬芽の解放』に誰よりも近付いた冬芽でした。

作中年齢高校生の冬芽がスマートなエスコートで女の子を優しく夢のような世界に連れて行ってくれる王子様であるのは、特段無理をしているからということはなく、彼が『作品のキャラクターとしてそういう存在であり』『悪の力を使ってでも、手に入れたいものがある(2018年10月7日のオールナイト上映時トークショーの幾原監督の冬芽評)からです。王子様でありながら、悪に手を染めてもいるという、相反する側面を持つ冬芽。アニメ冬芽・映画冬芽と区別することになる大きな要因は、この二つ目の姿勢に関する表現が大分異なるためですが、戸谷くんの冬芽はこの姿勢を表現する瞬間、とてつもなく生を露わにしてきます。それまでの気だるげで、かといってプレイボーイが板についているわけでもない、どことなくふわふわとした存在であった冬芽の目に明確な意志が宿り、声が雄弁に感情を紡ぎ、ウテナを阻む壁として高くそびえ立つ。キャラクターとして、自身の欲の実現のための手段として、絶対に王子様であり続けなければいけない桐生冬芽が僅かにその『王子様』から逸脱するその瞬間。ああ、冬芽が生きてる。戸谷くんならもしかしたら、『王子様』で『フェミニスト』であるが故に、どんなに傷付いてもウテナの前では決して自身の弱い部分をさらけ出すことのできない桐生冬芽を、そのジレンマから解放できるかもしれない。そう思っちゃったんですよね。このキャラクターに思い入れまくってるおたくだから。

プレイボーイ時の冬芽が良くなかった、という話ではなくて、たぶん戸谷くんの中でのプレイボーイ像とか王子様像はもっと女の子を心から尊重できるような優しい人だったんだと思います。後からドリフェス!でも王子様キャラやってたと聞いたので、もしかしたらそのイメージが彼の中には強くあったのかも。冬芽は複数の女の子と付き合ったりできるクズだけど許されちゃってたりもした男なので、そういう部分の乖離はウテナが20年前のアニメだということも起因しているのかもしれない。ウテナという作品のテーマを想うと、それはとても良い意味で生まれた乖離だなぁと思います。

冬芽の手に入れたいものの話は、今作で描かれることはありません。だから観客にとって、今作の冬芽がラスボス的立ち位置であり、虚構で虚像の王子様として終わることは正しいことです。でも、そんな冬芽にとっての奇跡、輝くもの、手に入れたいものとはなんなのか。そこにこそ桐生冬芽という男のややこしくて面倒でたまらなく愛おしい性質があると私は思っていて、それこそがなんだかんだでこいつ西園寺と類友なんだよなぁと感じられる部分でもあるんです。そういう冬芽を、「冬のころ芽生えた愛」(アニメ35話)を、どうにかしてあれだけ『桐生冬芽の解放』に近かった戸谷くんにやってほしい。吉谷さんの技量をもってすれば、脚本には無理でも演出でどうにかそれを表現できると思う。大好きで愛おしくて仕方ない桐生冬芽という男への執着が、私に彼を諦めさせてはくれないんだよなぁ。




【革命前夜の二人】

姫宮アンシー as 山内優花さん

彼女は変わらない。この時点では、まだ。それでもあの棺の蓋が、本来開くはずのないあの瞬間、僅かに動いた。確証はなく、けれど錯覚でもなく、今作の二人が築いた絆の片鱗をそこに見た。

こんなにも繊細なお芝居のバランス感覚が鋭い人が、この番手で名前をクレジットされた舞台経験がないというのだから役者は怖い。声や口調をアニメに寄せながら、けれど決してそれで終わるわけではなく、役者としての山内さんがそこに乗って感情を届けてくる。特にチュチュの存在がない分を補うように、ウテナ・若葉との日常を描き、歌い踊る時の彼女は少し変わっているけど『普通の女の子』で、後に生まれるウテナとの断絶がより説得力を増していました。2.5次元舞台というジャンルの中でも個を殺しきらず技量を発揮するその姿勢が、観劇おたくとして好きだなぁと思いました。

アニメ12話という終わりは、アンシーの立ち位置としては実に微妙なところで。今作の終わり方が大団円に見えるのは少し違うんだよなぁ、という面倒なおたくの心さえも、彼女の瞳は見透かしているようでした。客席から見える範疇での彼女の本質は、最初と変わってはいなくて。ただ、冬芽戦で負けたウテナがアンシーに語りかける演出は彼女の棺を表していたと感じたし、今作ではその時は訪れていないけれど、あの蓋がほんの少しだけ動いたことを、山内さんは表情や声の些細なニュアンスで教えてくれた。

『漆黒の闇をあなたの手のぬくもり感じ前に進む
光の庭に辿り着く日がきっと来る
その時にあなたが手を離して去って行っても構わない
ぬくもり忘れない きっと永久に』

彼女たちはきっと、10年後も一緒に笑ってお茶を飲む。



天上ウテナ as 能條愛未さん

そこらの男の子よりカッコよくて、真っ直ぐで、でもその幼さゆえにどことなく無神経で、王子様という憧れの前では信念さえ揺らいでしまって。人間として良い部分も悪い部分も含めてウテナというキャラクターが好きで、何度見ても同じように好きだなぁと思う。だから、アニメと映画があればいつでも会える。そう思っていたからこそ、あの日歌いだした瞬間から、彼女は『天上ウテナ』だった。

少女革命ウテナ』という作品から始まり、幾原監督の関わる作品は片っ端からチェックするようになった。『輪るピングドラム』が発表された時は、あまりにも久しぶりの仕事すぎて「これを見始めたら終わっちゃうんだ…!」という気持ちが強すぎて3話放送辺りまで見始めることすら渋ったほどに好きになった監督。『ユリ熊嵐』の発表出た時は「コンスタントに仕事するんですね!?」と驚いた。そうやって、幾原監督の好む声質やお芝居のスタンスをなんとなく把握していたからこそ、瞬間的に感じた。能條さんを選んだのは幾原監督なのではないかと。直接オファー、ということ以上のことは分からないため真偽は定かではないけれど、そう思わせるだけのウテナらしさが、彼女にはあった。

能條さんが様々なインタビューで『20年前のアニメ』と言うたびに、それは事実でありながらも僅かに私の心に居心地の悪さを感じさせていました。たぶん、昔のものだと言われているような錯覚が怖かったんだと思う。けれどこの20年という数字が一番怖かったのは、きっと能條さんだ。外部舞台で初めての単独主演作品という大きなプレッシャーの象徴として、彼女はこの数字を口にしていたのではないかと、今にして思えばそう感じます。だって初日の私が抱えていた様々な不安を、真っ先に吹き飛ばしてくれたのは彼女だったから。

男性陣も含めた複数のキャストが使う構成だったディオスの剣は、彼女には不釣り合いな大きさで、板の上が狭いことや殺陣の経験が浅いこともあって非常に扱いづらそうな印象を受けた。彼女の殺陣は公演を重ねるごとに速度を上げ、その成長に目を瞠りながら、それでもその扱いが手馴れたものになることはなかった。千穐楽公演になっても。それもまた、ウテナだと思った。
山内さんのアンシーが僅かに物語終盤の気配を漂わせていたのとは対照的に、彼女のウテナはこの先黒薔薇編を経て、暁生と出会って、そして最終回へと至るウテナだ。だから今はまだ、不釣り合いな剣を手に、たぶん友情のために戦う彼女でいい。諦めや妥協ではなく、途上にあるウテナと結末を見通すアンシーが揃って、舞台作品としての今作は形づくられているのだ。

能條さん自身はおそらく、役を憑依させるタイプの役者ではなく、役と向き合って自分の中に構築していくタイプの役者で。川上とも子さん演じるアニメのウテナに寄せつつも、彼女のお芝居は彼女自身のものだったから、「世界を革命する力を」と高らかに叫ぶ彼女は決して川上さんのウテナではなかった。だから、声や仕草をもって彼女がウテナだった、と説明するのは正確ではない。こんなにもウテナという作品に、ウテナというキャラクターに思い入れている私が、彼女の魂の形がウテナだと思った。理由はそれだけだ。




【つぼみは咲かなくては、散れない】

少女革命ウテナという作品は、選り好みしまくるタイプの私にとって嫌いなキャラクターがいないという、奇跡のような作品です。だからこそ、ミュージカル化された今作においても、嫌いだなぁ、まではいかなくても、良くなかったなぁ、と感じるキャストがいなかったことは本当に幸せでした。ということが言いたくて全キャストに言及してたらこんな長さになってしまった。
けれど、言葉では到底表現できないものが舞台というジャンルには存在しており、おたくは感極まりすぎるとしばしば語彙力を喪失し、ポエムを語り始めます。1万字超書いても、書ききれないことがまだまだたくさんあるのです。
というわけで配信のご紹介。私はこの作品が続いていき、いつの日か黒薔薇編で御影草時に出会う未来を切望しているんだ。
現状、各種配信サイトで見られるのは千穐楽公演のライビュ映像のため、カメラワークや音質が少々……少々アレです。お安く見られるのはよいことだなぁと思います。


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アニメ『少女革命ウテナ~白き薔薇のつぼみ~』の動画|ネット動画配信サービスのビデオマーケット

GYAO!ストア
ミュージカル「少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~」 - 動画|GYAO!ストア|アニメ

DMM.COM
少女革命ウテナ ~白き薔薇のつぼみ~ - 舞台・ミュージカル動画 - DMM.com




円盤は特典として各楽曲の全景映像も入ってるのでその点に関してもおすすめです。25曲分入ってるので、ほぼほぼストーリーを追えるんじゃないかくらいの密度で歌ってることが分かります。狭い板の上に人がいっぱいで、それぞれがそれぞれのお話を紡いでることが確認できて、映像特典としてはかなり質がいいなぁという印象です。
特にオープニングの『漆黒の闇、薔薇の園』はほぼ最後列から観ていた初日の私の目に映ったものに限りなく近くて。溢れる照明と、入り乱れるキャストと、響き渡る歌声と。ウテナ好きだなぁって気持ちで胸がいっぱいになったあの瞬間のことを鮮明に思い出せるので、この特典のためだけに円盤買っても惜しくないな、という気持ちです。



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(190515追記)

黒薔薇編やるってよ!!!!!!!!!!!!!!!!
ミュージカル「少女革命ウテナ ~深く綻ぶ黒薔薇の~」公式サイト

別現場の幕間で公式ツイート見たので誰よりもテンパってた自信があるよ!!!!!!!!!
男性陣総入れ替えなのすっごく寂しいんですけど、黒薔薇編は西園寺も幹もだいぶ立ち位置の変わるエピソードになるし、冬芽は心神喪失状態で車椅子姿が遠目に描かれてるだけなので、新キャストさんが見せてくれる新しいウテナを楽しみにしたいです。
一言だけいい?アンケートの好きなキャラクター欄に力強く御影草時って書いてよかったーーーーーーーーー!!!!!!!!