愛より重くて恋より軽い

未来の私が読んで楽しいやつ

舞台「Little Fandango」感想

念願の船にながつ帰還。待ってた。待ってたぞ…!!!!!!!!





【公演情報】

DisGOONie Presents Vol.11 舞台「Little Fandango」

作・演出・プロデュース:西田大輔

出演
萩谷慧悟
長妻怜央

渡辺みり愛
校條拳太朗

山口大地
内堀克利
村田洋二郎

海将一郎
吉川友
中村嘉惟人
横井翔二郎

瀬戸利樹

萩野崇

松田賢二

Ensemble partner
本間健大 書川勇輝 和田啓汰 中土井俊允 関修人 藤原悠亮
岡本麻海 市川絵美 松野咲紀 寺澤佑紀(MKMDC) 梅津大輝 中村天河


【公演日程】

2022年6月10日(金)~19日(日)
東京都 EX THEATER ROPPONGI

2022年7月2日(土)・3日(日)
大阪府 COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール

https://disgoonie.jp/stage/vol11/

西部開拓時代。21人を殺した悪童ビリー・ザ・キッド。“一つの日記”とならず者たちの伝説が幕を開ける

ニューメキシコ州――かつてはゴールドラッシュに湧きあがり、ならず者たちが活気を作っていたこの街も、今では区画整理され、法の下に秩序が行き届いている。
その街で生まれた議員の息子・ヘンリーは親友のマクスウェルと共に、家の屋根裏で一冊の古ぼけた日記を見つけていた。

父親嫌いのヘンリーにとって知りたかったのは、この街の歴史。
自分の血の中にきっと隠れているであろう「カウボーイ」の真実を知りたいのだ。
そして、かつてこの街にいた伝説の悪童の名を。
その名は、「ビリー・ザ・キッド」。
21人を殺し、21歳でその生涯を閉じた悪童、そしてリンカーン郡戦争を勝ち抜いた「英雄」だ。


日記を広げながら、少年二人は、カウボーイたちの世界に入り込む。
パッド・ギャレット、ドク・スカーロック、コー兄弟、リチャード・ブリュワー、
そして、自分と同じ名前を持つヘンリー・マカーティ。

日記は、歴史となり、そして新たな西部劇が幕を開ける。





前にもちらっと言ったけど、萩ちゃんはお船(DisGOONieS)のイベントでいつメンから名前が出たりもしていて、こちらとしてももう常連枠カウントを勝手にしており「まぁまたそのうち出るでしょ~」って感じなんだよね。でもながつは割と色んな制作・演出家のところ出てるので、今後も声を大にして船に呼びたい所存。西田のとこの子にな~~~~~れ!

今回はいつメンが少なめなこともあり、西田作品に初参加だったり船に初乗船だったりする若手がいっぱいなのが新鮮で面白かった~!しかも皆それぞれ絶妙に適性があるので、こーーーーれはお馴染みポジションを振るのにも腕が鳴りますなぁって感じがして、結果的に割と納得の3時間弱だったかな。(キティ版は2時間弱だったと聞きました)



とか言いつつ、ながつフィーバーによって配役もメンツもいまいち頭に入りきってなかったので、初日に「待ってめちゃくちゃ好きな顔おるんだが!!!!!!!!!!君の名は!!!!!!!!!!」ってなったら大海くんだった回。おじいちゃんそれジョカゲの時にもやったでしょ!!!!
大海くんってすごく繊細な仕草の積み重ねで役の心情を拾い上げるタイプなんだなぁっていうのがドクの印象なんだけど、化粧映えする顔立ちにも関わらず今回ほぼ素体なお顔なのもあり、存在感の出し方にわざとらしさないのが尚更いいなと思った。おかげで何度現場入っても初見時に気付かないとも言うが。ディックがヘンリーに手渡す銃(後にディックの遺品になる銃)をドクはしっかり見てたり、じっくり見てると細かい芝居多いんだよね。あとマスケット銃が似合ってるのもいい。超いい。最高。

ドク→ディックへの信頼、ディック→タンストールとかタンストール→ヘンリーのいずれとも違ってる上にあんまり描写がなかったようにも思えるけど、序盤で小さいヘンリーに突っ込まれ続けてた動物形容詞シリーズはそもそもディックから来てるんだよね。ディックの場合はピートを『羽根の生えた馬』って形容するところだけだったので初回は私もスルーしちゃったんだけど、2回目に観たときにああなるほどな~って気付いた。西田作品あるある。
あるあるお馴染みのOPだと、ローゼンバーグがジーニーの身支度をしてあげてた逆サイドではドクがテーブルに置かれてたタンストールのハットに触ってるところをディックに殴られてるんだけど(ちょっと仔細違うかも)、あそこが対比になるのってローゼンバーグとジーニーの劇中で描かれない日常が、そのままタンストールとディックに置き換わるからなんだろうなぁ。あの一派はリーダーが変わるたびにリーダーシップの形が変わっていくのが面白いんだけど、敵対するローゼンバーグも誰かにとっての『タンストール』であるってひっそり描かれてるのがOP。
殴られてるとこも含めて、やっぱりめちゃくちゃ動ける男だな~ってことを再確認したので、大海くんは今後も船に呼んでほしい若手俳優枠にしっかり収めておきました。



<混線する多重構造あっちこっち>
今回、物語の構成自体はかなり簡単で分かりやすい代わりとでも言わんばかりに、各キャラクターの関係性重複構造がめちゃくちゃ多くて感想ツイートの内容もとっ散らかりまくり。


主軸として分かりやすく対比になってるように思えるのはヘンリー(萩ちゃん)とパッド(めんさん)なんだけど、ここって対比というより同一性の方が近いかなって思ってて、お互いが『あったかもしれない可能性』の存在なんだよねたぶん。
ヘンリーは仇討ちのためとはいえ、他人の命も自分の命も賭けることになる『戦争』の火蓋をたった一人で切って落とせるような、『俺の欲しいものすべてを奪っていく』というパッドの評価を差し引いたとしても、皆から羨望と嫉妬を一心に受けるような誰よりもならず者であるというのに、彼自身は仲間や愛する人を得たからこそ『人生をやり直したい』って言うところ、めっちゃ好きだなぁと思った。
だからこそ同じならず者でありながら『習ったばかりの字とは思えない』日記を綴ることからも分かるように、パッドがその賢さとヘンリーとは違う選択をしたことによって保安官から議員選挙のルートを辿っていく、という人生が際立つんだよね。この辺りはブレディ達が補完してくれてて、敵対サイド側の話として出てくるのでそれが『悪』であるかのように受け取られそうだけど、周囲から羨望のまなざしを受けたヘンリーが自らのならず者の人生を否定したことで『一つのありえた未来』として成立するところが西田脚本だな~ってしみじみしたポイント。


じゃあ誰がヘンリーの対比か?っていうと、あまり明示的な描かれ方はしてないけど多分ピートなんだよなぁ。厳密にはヘンリーと同一性のあるパッドに対しても対比であるっていうダブルポジションなんだと思う。
結構細かいから拾いづらいんだけど、たとえば『すべてを奪われる側』と明言してるのはパッドとアポリナリアだけど、実際口にしないだけでピートも立ち位置としては『奪われる側』なんだよね。ピートはならず者の人生を脱したいって希望を抱いたことは(多分)なくて、でも子ヘンリーのために日記のページを破り捨てたマクスウェルと同じような感情が、あのお願いをしてきた時のアポリナリアに対してあったんじゃないかなと。好きな女の願い、って感情ももちろんあったと思うけど、タンストール一家における立場という意味ではピートも「お前がやらなきゃおれがやってた」の通り『奪われる/奪われた側』なので。
一方で子ヘンリーが字が読めないのに対してマクスウェルは字が読めるのは、親であるピートが読み書き苦手だったからだろうし、ピートはヘンリーと同様に『自分の望んでいたものを子に与える』という役目もこなすことから、ヘンリー/パッドのどちらかしか持ってない要素はピートが持っていて対比関係になるっていう形になってる。
ピートについては直接的に描かれてないけど他からちょっと考えると分かる、みたいな部分がすごく多くて、だからこそW主演の2人でここを担ってるんだろうし、ながつが振られてるんだろうなーと思ったり。ながつの西田作品における立ち位置の話は別でまとめるけど、弔いシーンで各々のハットを拾い上げる時、ピートがタンストールのハットを軽くつんつん、って触って笑ったのを見てしまったので、おれは一生ながつを船に置いておきたい気持ちが大爆発しました。



<ながつと萩ちゃんの違い>
リトファンで一番大きな収穫だったのは主演の二人の西田作品におけるキャラタイプの違いで、ながつが傷付けば傷付くほどそこから光を拡散して輝きを増すタイプ適性なら、萩ちゃんはどんなに傷付けられても傷ひとつつかずに輝き続けるタイプ適性ってことを明確に提示された感じがした。傷付かない、の方向性もまぁ色々細分化できるんだけど、大地くんとかめっちゃ分かりやすいよね。あれはもう『鋼』だからさ。強度があるので物理的に傷付けられない。萩ちゃんは『玉』とかのイメージで、理論上は傷付けられるはずなのに傷つかない感じ。いつメンだと良子さんとか佃井ちゃんとか女性に多かったから超新鮮。


おーだー側の企画に呼んでみたりするくらい、ながつの尊先()がはぎさんなのめっちゃ分かる~~~悲哀背負える・キメるところ絶対外さない、けどちゃらんぽらんに遊ぶこともできるあのポジションが理想なんだろうな~~と思ったので、今回そのポジをもらったことは本人も嬉しいだろうし、メンタルが強いから無茶ぶりしても余裕そうで、いつメンおじさんたちもニコニコだろうなって思った笑
この辺のバランス感が元々かなりいつメンと近似値、っていうのもあって「まーた外の子が西田くんに無茶させられとる…」感が全然ないのが個人的には超良かった。なんせ本人が一番楽しそう。何事も振り切ってやったもん勝ちだし、出演者と観客総出でながつを見守る時間が生まれてたのはながつならではだなー
デカダンのマリウスはおふざけゼロだったし、あの『全てを背負う』ポジのながつにメンバーが驚いたというエピも大事にしたいよね。西田作品の中核を担う役タイプは色々あるけど、デカダンマザラン→リトファン見る限り、ながつは傷付けば傷付くほど美しくなるタイプなので今後もボロボロになってくれ…


私がPSY・S未履修&舞台斬月の記憶死亡状態につき、今回萩ちゃんのお芝居をほぼ初めて見る状態だったんだけど、ヘンリーを萩ちゃんにしたのめっっっっっっっっっっっっっちゃ分かるんだよな………西田→谷口→鈴木に継ぐおしゃ哲として名前挙げられてたから、冒頭は超意外だなって思ったけど話が進めば進むほど納得しかない………
今回若手組にはほぼいつメン・西田作品常連がいなくて、いい意味で全員の船での印象がフラットな分、色んなキャラタイプに当てはめられた新人を見るみたいな心地があったんだけど、萩ちゃんは『傷ひとつつかずに輝き続けるタイプ』として逸材すぎる。あの傷付かなさを持ってる男、近年の外部枠で当てはまる人いなくない????みんなたちどう思う????
個人的な感触として近年該当者がいるとしたらリコレクトで貂蝉やってたたろくらいかな?と思うんだけど、でもあれは対になるのがいつメンきってのボロボロな姿が美しい男ことまさし張遼だった効果もあるじゃないですか。あと萩ちゃんは絶対にヒロインにならないタイプの人だし。敢えて同タイプの良子さんとか佃井ちゃんと掛け合わせたら超化学変化起こると思うので見てみたいなー

冒頭のヘンリー/子ヘンリーによる「「誰だ?」」はビリー・ザ・キッド最期の言葉とされてるので、リトファン自体は『失われたページ(=歴史)の話』だけど、子ヘンリーの年齢≒ヘンリーが初めて人を殺した時の年齢ってことで『ヘンリー・マッカーティ』の新たな人生を表してるのかな?とも思ったんだよね。ラストで出てくる、人を殺した瞬間から始まったならず者としての人生をやり直したいというヘンリーの想いが、カウボーイの息子でありながらならず者以外の道を歩むであろう子ヘンリーの人生へと繋がっていく物語。
そう思うとみりあちゃん演じる子ヘンリーのあの幼さがめちゃくちゃ刺さって、ながつと並ぶから尚更ちいちゃい男の子に見えるあの歳の頃には、ヘンリーはもうならず者の人生を歩いてたんじゃないかなって想像しちゃったんだよね。奇襲前に「一人で行く!」ってヘンリーが止められるところで、マイクオフになっちゃってたけど毎回ヘンリーが「死ぬのは俺一人でいい!」って叫ぶのとか、そういう人生しか知らない子どものような人の歩んできた人生に思いを馳せさせる。





今回は刺さるところが主演組周辺に集約されてたので特に触れる感じはないんだけど、研音退所後に船とアールユーピー界隈を反復横跳びしてるせとしきは今後どうするんや…?という疑問がさらに深まる現場だった…w


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