愛より重くて恋より軽い

未来の私が読んで楽しいやつ

『髑髏城の七人season風』感想まとめ+蘭の話

まとめる気はもちろんあったのに、月が始まった瞬間すっかり忘れてしまっていた風髑髏感想。ようやくまとめようとしたらほとんど蘭のことしか言ってなくて、おまけに今界隈でちょっと話題になってる下弦蘭について私が考える上でのヒントというか、ほぼ答えがそのままあったのでちょっと一緒に書いてみましょうか、というエントリです。(一息)

 

 

 

 

 


【風蘭のはなし】

 

(9/30ソワレ観劇時の感想)

元偶像(アイドル)の風蘭によるアイドルP活動、MKY48だった(風髑髏感想第一声)
→これ、意外と的外れなこと言ってなかったので残しておきます。個人的には、本当に言葉通り春を売らずに夢を売ってたのって風だけだと思う。

 

映像を含め、初めて捨天同一の髑髏城を観て一番強く感じたのは、蘭の立ち位置の移り変わり方だった。この捨天一人二役パターンにおける蘭の必要性って、役者個人がどうこうではなく役割としては大きく「捨天二人パターン時に役者の力量に依存していた『人の男』の人心掌握術の説得力」と、「捨天の殿影武者設定の補強」だったんだなって認識した。さらに言えば、「髑髏城の七人」ってタイトルから連想されるカウントに蘭が含まれないのは、そもそも蘭というキャラクターの役割が主要メンバーすべてに使える環境設定だったからなんだなぁっていうことをすごく感じたんだ。
彼に与えられた記号は数あれど、蘭自身の存在を強調するものって実はすごく少ない。パンフでも髑髏城自体の転換期としてワカが挙げられているけど、このパターン違いの発生によって蘭は初めて、彼のためだけに与えられた記号や存在感を獲得していって、その最高地点が鳥だったんだと思う。だからこそ、ここでワカ以前のパターンを持ってくること自体が、シーズン通して観ると原点回帰以上の飛び道具効果を持ってるな、と感じた。
花で初めて蘭が好きな自分、という気付きを得た身としては、風蘭って環境設定としての役割を過不足なく全うしていたと思う。蘭クラスタが大好きな黄泉の笛も口説き美しいものや新しいものが好きな殿のパーソナルを描くためのものでしかない。そういう意味合いのキャスティングとして、風蘭は一つの正解だと思った。

 

とはいえ風蘭にも個性はあるわけで、彼は朴念仁というより自我が芽生える以前に殿に出会ってしまったせいで発達の止まってしまった美しい鑑賞物だったなって感じた。無界ガールズと太夫がすごく若くてアイドル的で、そういう子たちに拾われて救われたことによってその発達は緩やかに再開されたんだけど、彼女たちは年齢的にも立ち位置的にも風蘭よりも年下なので自我形成における『親』の不在は変わらずだし、まだまだ成熟しきってもいない。あんな長身なのにその中身は未だ成長過程にあって、自身の自我との対峙をようやく始めた頃、天魔を通して再び殿に出会ってしまった。内省なんて面倒なことから解放してもらう感覚はきっと夢見酒より強力で甘美であったのだと思う。風蘭は天魔の誘惑に葛藤するだけの自我形成が終わってないから、あんなにもあっさりと呆気なく転がり落ちてしまう。

 

だって夢見酒呑ませなくても殿と同じ顔でキスしたら落ちるって思われてるんだよ風蘭。扱いというか、認識のされ方が完全に子供だよ。そういう単純なもので動かせると思われてるし、実際動いてる。なんなら秀吉に一泡吹かせてやれる、って言われた時点で半分落ちてる。幼いんだよ、彼は。そういう幼さが、例えるなら美しい器に僅かに注がれた水のようであった一幕と比べて、二幕は格段に発する言葉の力を感じた。でもそれは蘭自身から生まれる言葉じゃなく、第六天魔王の隣に据えられて、その炎の反射を受けて赤く燃えているように見えるだけの空っぽの器。私から見た風蘭はそういうものだった。正直、言及するなら殺陣より他にあるのでは……とは思ったけど、『美しく空っぽなこども』という意味ではかなり正解に近いのでは、とは思えるんだよなぁ。

 

風蘭はシーズンの中で一番ワカ蘭と似てるなぁと思った。ワカ蘭は張り詰め続けることで無界の里に立っていて、それが口説きと夢見酒でぱちんと弾けてしまった人だったけど、風蘭は太夫の言葉通り、一度壊れてしまったものを積み木みたいに重ね直してたから軽く触れられただけで揺らいでしまった。風蘭のあのあっさりとした陥落に、ワカの時に感じた「この人はこっちが本来の姿なんだなぁ」という感覚を思い出したし、ワカ蘭が数珠の形で肌身離さず持っていた未練を、風蘭は心のうちに持ってただけなんだろうなって。表現の違いだけで、根っこのあたりはすごく似てる蘭同士。ワカが捨天二人パターンじゃなかった時の蘭が風蘭。


私、ついったー髑髏党員の中では風好きな方だと自認してるんだけど、風蘭のなにがいいって夢見酒前に一発かまされた瞬間だよね。完全にくだらぬ縁という夢から醒めたようにぽかん、とした顔になったんですよ。あれは花蘭や鳥蘭に同じシーン作ったとしても見られないものだと思う。夢見酒後に膝立てて座りながら杯をしげしげと眺めてる蘭とかもとにかく美しくて、絵として完璧だったんだけど、それが殿の隣に在るべき蘭の姿であって、彼はそれ以上でも以下でもないんだなって思った。個人的には、風はいい意味で蘭というキャラクターに固執する、ということから解放された気分になった。

 

小説も読んでなければ97アカアオも見てないのでとても好き勝手なことを言うんですけど、風蘭を見てると、蘭は刀の達人じゃなくても指揮官として有能じゃなくても構わないと思った。殿から美しい置物として寵愛されていて、それは天魔や捨のように傍から見ても明らかで、それだけで『全キャラクターにとっての背景役を担う、環境設定の蘭』というキャラクターとして成立する。
私のTLはクラスタも多いので、流れてくる蘭の話は花も含め、多かれ少なかれ『太一さんの演じた蘭』の姿が根底にある。それは捨天二人パターン誕生契機のワカ蘭だったという要素を加味しつつも、それだけ蘭の魅力を引き出したのが太一さんだったから、ということだと思うんだけど、その姿から完全に逸脱した蘭がいてもいいと思うんだ。既存のキャラクターから逸脱した鳥捨を見た後だから尚更そう感じる。

 

殺陣は若干どきどきしたし(不安で)、ワカからの流れを汲んだ蘭が好きな人たちがこれ初見にしてほしくない!って言うのもまぁ分かるんですけど笑
鳥を観た時に感じた「これ、他パターン見て比較するとすっごい面白いんだよなー」が蘭にも太夫にも感じられて、私は結構楽しかったです( 'ω' )今までワカ以後のパターンしか見たことがなかったから、髑髏城ってすごく週刊少年ジャンプ的な偶像劇だなぁって思ってたんだけど、ワカ以前の髑髏城はジャンプであるけれど座長というものをすごく意識した劇団戯曲だなって感じた。悪い意味じゃなく、役割としての座長一強感がすごくはっきりしてる。すごい雑なこというと、蘭でリピーターを獲得する気がない。そこに魅力を見出す人ももちろんいるんだけど、基本は座長一強構成の戯曲だから。蘭は捨天が映えるための役割を担えれば十分なんだよ。

 

 

 

【月蘭のはなし】

 

上の話でほぼ答えになってると思ってるんだけど、ようするに月蘭って上弦/下弦問わず『捨天二人パターンなのに、全キャラクターにとっての背景役を担う、環境設定の蘭』なんですよ。今回のseason月は、天魔を殺すのではなく止めることを心に決め、その目標を完遂できず、8年間捨てられなかった義理も縁も失う捨之介と、8年間抱え続けた虚構の天/殿を最期まで失わない天魔王の話なので、よくよく考えたら当たり前なんですけどね。そう考えると、花鳥風月シリーズって

「天魔と蘭の関係性を新構築した花」

「捨の既存の人物像を破壊した鳥」

「原点回帰でワカ以降の見解を一度更地にした風」

の流れから「二役に分かれた捨と天魔王の対極性を突き詰めた月」が生まれたんですよ。すごくないですか?書いてて泣きそうになってきた。そういう意味でも、月の立ち位置は極めてワカに類似しているんだと思う。

 

その上で、風蘭よりも情操が発達しているのが下弦蘭なのかな、と私は今のところ思ってる。風蘭が意識的には認識していなかったであろう自分が美しいという事実を彼は知っていて、そうあることを求められていることも理解していて、誰が見ても「美しい」と感じるように振る舞うことを殿に教わって、それをずっと続けている蘭。ここで言う「美しい」とは、見た目や所作に限らないんだよね。太夫たちに救われて、周囲の環境が変わっても『美しい』人間としての在り方を求められていることは変わらないから、やっていることの行動原理自体は小姓時代からずっと変わってないんだ。一幕も二幕も本当の蘭の姿で、そこには当人の中のルールに基づいた一貫性があるのだと感じた。刀身に映った自分を見てるところ、残念ながら私は観劇時に確認できてないんですけど、極論を言えばカテコの太夫エスコートだって、そうあることを求められていることを理解しているんだと思う。そういう意味で、ちゃんとも自身がすごく下弦蘭に似ているのかもしれない。私は蘭のこと、どのシーズンだろうがどんなに美しかろうが、超自分勝手な奴だと思ってるから失礼な話なんですけど笑

 

ついでに上弦蘭の話も少し。彼も環境設定の蘭であることには変わりないんだけど、個性特化力がすごく強い。これはあて書きしてないと言われてる月において、唯一あて書きを明言されてるのが上弦蘭の登場時の台詞なので間違いないと思う。(詳しくは中島さんが出演したラジオ聞いてください)
何度も出してきて申し訳ないんだけど、個性特化といえばやっぱり環境設定の役割をぶち破ったワカ蘭を想起してしまう。下弦蘭は元々、綺麗どころな印象がワカ蘭をなぞってる、と言われてるのをよく見かけるんだけど、気質的な部分では上弦蘭ってかなりワカ蘭に似てるんだよなぁと私は思ってる。それは翔平くんの初見蘭がワカだということにも起因しているかもしれないけど、所作であったり振る舞いであったりにワカ蘭、というか太一さんが作る蘭が共通して持っていた品格を感じるからです。ヤンキーっぽいけど、絶対育ちが良いんですよ彼は。ワカ蘭もそうだったと私は思っているんですが、ワカの亡霊に殴られそうで大きな声では言えない。特に手を中心とした仕草に隠しきれない育ちの良さが出てるので、次に観劇するときにでもぜひ注目してみてください。

 

 

 

 

 

 

なぜこの話をこのタイミングで書いたかというと、1/17のゲキシネでアオドクロを見るからです!アオ見たら絶対また捨天同一髑髏の印象変わるはずだから!わーい楽しみ!